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明治44年の洪水

明治44年(1911)8月15日正午頃より、大降雨となり、午後から東南の風が激しくなった。午後12時頃になって吉野川が急に増水して、船頭屋(渡船場の船頭が休憩する家)を押し流し、上方の郡道(現在の国道32号の長瀞橋の南岸付近)は浸水した。この時、豊永橋(現在の... 続きを読む

昭和53年の火災

昭和53年(1978)3月24日午後9時20分頃、大杉中学校の職員室付近から出火し、校舎は全焼、隣接の民家11世帯14棟を全半焼し、午後11時頃鎮火した。当時の大杉中学校は現在の本山警察署大杉検問所の位置にあり、杉集落の中心地に接していた。焼失したのは学校側に... 続きを読む

昭和35年の火災

昭和35年(1960)3月28日、東土居の豊永駅前で大火が発生し、26戸が全半焼した。火災の原因は、火災保険金詐取のための放火であったことが、後日警察の調べで判明した。 続きを読む

昭和28年の火災

昭和28年(1953)4月8日午後7時30分、漉長で火災が発生し、県道(現在国道)沿いの両側の6戸が全焼し、同夜鎮火した。 続きを読む

昭和22年の火災

昭和22年(1947)5月1日午後零時30分頃、東豊永村川井の住宅から出火し、西南の強風にあおられて29戸が被災した。広い集落に点在している29戸の全部が焼け落ちるのに2時間余であったというので、いかに乾燥と風が強かったかがわかる。5月7日、東豊永村長は高知県... 続きを読む

昭和18年の火災

昭和18年(1943)3月3日午前10時30分頃、旧西豊永村下桃原の山林から発生した不審火は、下桃原の人家2戸を全焼し、強風にあおられ約1kmも離れた連火集落に飛び火して、連火の氏神である聖神社をはじめ6戸を全焼させた。また、集落の上方の山林にも延焼し、水不足... 続きを読む

昭和53年の火災

昭和53年(1978)3月16日午後5時40分頃、落合から出火し、11戸が全焼した。焼死者が出た。大豊町は、翌17日に災害対策本部(町長が本部長)を東豊永公民館に置いた。 続きを読む

昭和35年の火災

昭和35年(1960)2月3日夜12時頃、落合の中心部から出火し、県道沿い両側、東西に燃え広がり、公民館、消防会館、郵便局を含め全焼33戸、半焼1戸の被害が出た。この火災で東豊永郵便局も全焼したが、東の端に位置していたのと多数の応援を得て、大豊村東豊永支所の庁... 続きを読む

昭和28年の火災

昭和28年(1953)10月19日早朝、落合下町から出火し、東豊永村村役場ほか12戸が全焼した。この役場の火事で、明治以来保存されてきた貴重な記録が焼失した。同日、役場は消防会館を仮事務所として、役場事務及び災害対策に当たった。警察の出火原因調査で、原因は放火... 続きを読む

大正14年の火災

大正14年(1925)7月25日夜半12時頃、落合で出火し、翌26日午前6時頃鎮火した。被害は全半焼合わせて30戸に及び、損害額は約30万円であった。 続きを読む

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