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天保7年の洪水

天保7年(1836)8月3日の大洪水により、谷川掛り及び砂留3箇所が破損したため、翌年普請が行われた。(「萬日記帳」による) 続きを読む

天保13年の洪水

天保13年(1842)6月25日、風雨洪水により被害が出たため、9月から11月まで波介川尻、高岡関、用石で普請を行った。(「御当家年代略記」による) 続きを読む

嘉永2年の台風

嘉永2年(1849)7月9日から大しけで、10日夜四つ半(23時頃)からの大水となり、寺坂敷より5.7寸上がり、家が2軒流れた。(「広楽寺の過去帳」による)仁淀川が、吾川郡側で数箇所決壊したが、高岡側も決壊したのであった。この洪水は「酉の年の大水」と言われてい... 続きを読む

文化13年の洪水

文化13年(1816)8月3日、仁淀川の洪水により中島堤防が決壊し、高岡町一帯は浸水した。堤防は去年の洪水でつくったものだった。(「燧袋」、「楠瀬大枝日記」による) 続きを読む

文化9年の洪水

文化9年(1812)7月21日、仁淀川の洪水により高岡、中島、塚地辺りでは流失の家のあったようである。高岡の商人が貯えていた米も夥しく濡れたとのことである。(「燧袋」、「楠瀬大枝日記」による) 続きを読む

享保3年の大火

享保3年(1718)、宇佐浦で火災が発生し、271軒が焼失した。(「御当家年代略記」による) 続きを読む

貞享2年の大火

貞享2年(1685)、2年続けて宇佐浦で火災が発生し、87軒が焼失した。(「柏葉日録」、「平尾文庫」による) 続きを読む

貞享元年の大火

貞享元年(1684)、宇佐浦で火災が発生し、144軒が焼失した。(「柏葉日録」、「平尾文庫」による) 続きを読む

寛文6年の洪水

寛文6年(1666)7月3日夜から雨が降り、4日午後6時過ぎに大水が出る。水位は小同寺の座上1尺3寸に達した。日下村(日高村)では収穫皆無となり、年貢免除になった。(「寛文雑記」による) 続きを読む

昭和16年の台風

昭和16年(1941)10月1日、極めて足の速い台風が鹿児島に上陸後、進路を東北に変えて、九州、四国に大きな被害を与えた。この台風で、1日18時20分頃、国鉄土讃線豊永~大田口間で土砂崩壊が発生し、上り列車(客車1両、貨車11両編成)が脱線、吉野川に転落した。... 続きを読む

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