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万治2年(1659)9月20日、大風雨により、岩崎堤防決壊。八面宮池となり、天満宮にも池を生ず。中村町は流失し、安並、石見寺下に家財道具流れた。(「中村町風水害史」による) 続きを読む
万治元年(1658)8月20日、大洪水により、山路・坂本・不破村の家半分流失。(小野家資料による)死者12人、流家347戸、潰家684戸。(「御家年代略記」による) 続きを読む
昭和10年(1935)8月27日、台風による風雨が激しくなり、渡川と後川の水位は刻々上昇した。最高水位は渡川具同で12.07m、後川大用寺で10.31mに達した。中村町の洪水の中で最大であり、浸水というよりも沈没という言葉が当てはまる有様であった。中村町では、... 続きを読む
昭和38年(1963)8月9日、強烈な台風により、雨量は516ミリ(西土佐村役場)、風速35mを記録し、川崎の水位は1時間に最高2m上昇し、最高水位は20mに達した。村内の被害は家屋の全壊39戸、半壊171戸、床上浸水87戸、床下浸水42戸に及び、被害総額は5... 続きを読む
昭和20年(1945)9月17日、台風により、山林の大木が倒れ、家屋は倒伏、浸水し、交通・通信は途絶し、田畑の被害も甚だしかった。特に四万十川沿岸一帯の地域は危険にさらされ、中半国民学校の校舎が倒壊して校具を搬出中の校長が殉職するという惨事を招いた。また、吉野... 続きを読む
昭和10年(1935)8月28日、暴風雨となり、正午過ぎから雨も風も激しさを増し、吉野川、四万十川は増水し、川沿いの桑畑が浸水し始めた。4時頃には道路まで浸水し、さらに増水が急激になり、川崎小学校付近の人は学校に避難した。5時か6時頃には1時間に2m近くも水位... 続きを読む
明治23年(1890)9月9日から11日にかけて、大暴風が襲来した。豪雨により大洪水となり、田畑の流失、稲作の被害、橋梁流失等の被害をこうむった。中村町の四万十川水位は、明治19年の時(平水よりも2丈9尺5寸高かった)よりも2尺高かった。西土佐村口屋内の鷣(は... 続きを読む