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明治3年の風雨

明治3年(1870)9月7日、風雨、8日出水。嘉永2年(1849)以来の洪水であったが、嘉永2年に比較すると1、2尺ほど低かったという。 続きを読む

嘉永2年7月の風雨

嘉永2年(1849)7月9日、大風雨、夜に入っても止まず出水。10日5ツ時(8時)よりまた大風雨となり、弘化3年と同様に風強く樹木が倒壊した。11日出水。9日と11日の2回の洪水とも平地(小姓町)より4尺5寸程高かったという。上岡利太郎手記に「嘉永二酉年七月暴... 続きを読む

嘉永2年5月の大雨

嘉永2年(1849)5月1日頃より大雨、5日まで降り続いて出水。 続きを読む

弘化3年7月の風雨

弘化3年(1846)7月朔日より風雨、3日風雨甚だしく、出水。8日まや風雨激しく人家多数破損。17日夜大風雨。この年は数回の洪水があって、俗に「丙午の洪水」と呼ばれている。 続きを読む

弘化3年6月の風雨

弘化3年(1846)6月16日、大風雨、19日夜まで大雨の末、出水。 続きを読む

弘化3年3月の大雨

弘化3年(1846)3月、大雨が降り、度々出水。 続きを読む

文政5年の風雨

文政5年(1822)5月29日夜から大風雨、6月2日大洪水。上岡利太郎手記に「文政5年5月洪水、遠近家米1石6斗救助米を出す」とある。遠近家は宇和屋のことで、町老役を勤めていた。また、宮崎嘉道手記に「小姓町にありたる郡方役所の土居屋敷へ移転したるは文政5年5月... 続きを読む

享保7年の洪水

享保7年(1722)6月23日、昨年に倍する大洪水となった。後年、享保6年と7年の洪水を丑寅の洪水と呼ぶのは、享保6年が丑年であり、享保7年が寅年であったからである。「丑寅の洪水もサダチより起こり、源平の戦いも狂いより起こる」との俗諺がある。 続きを読む

享保6年の洪水

享保6年(1721)7月5日より15日まで度々洪水があり、作物の被害甚だしく、中村町内の浸水は地上より6尺に及び、人々は逃れて2日間野宿をしたという。 続きを読む

寛文6年の洪水

寛文6年(1666)7月7日、8日、大風水により、中村下の町大堤切れ、家一軒も残らず、町は川原となり、死人夥しかった。(「大海集」による) 続きを読む

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