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明治19年(1886)8月21日及び9月10日に暴風雨があり、海岸方面の損害が甚だしかった。この時には、蒼社川より流出した流木が片原町海岸に突入し、人家を破壊したものが少なくなかった。また、近見村でも沿岸に大被害があり、海岸に鬱そうとしていた老木もほとんど流失... 続きを読む
文政9年(1826)5月20日から21日夜にかけて大風雨により、潰家、流家及び死者の被害が出た。また、6月6日の風雨により惣社川の土手が大破した。この結果、倒家157間、田畑砂入2,614石余、溺死23人、砂船50艘の被害となった。(「今治拾遺」による) 続きを読む
元文4年(1739)8月5日、風雨が激しくなり、洪水と高潮により土手が切れるなどして被害が発生した。潮入田畑6,325石余、砂入田畑2,227石余、潰家319軒、土手切れ・流れ・半崩2,946間、用水悪水樋共切流8箇所、石橋落4箇所、倒木85本、溺死1人など。... 続きを読む
享保14年(1729)8月19日大雨と高潮により被害が出る。潮入田畑27,603石余、潰家746軒、半潰家241軒、堤防決潰106箇所2,005間、倒木237本、死者2人、死牛3頭。(「永頼見聞録」による) 続きを読む
享保9年(1724)8月14日午後10時、俄に常時より5尺余高い高潮が発生し、三ノ丸では2尺余、本町では3尺4、5寸浸水した。晴天無風の出来事なので、古今の珍事と言われている。(「今治夜話」による) 続きを読む
享保7年(1722)6月23日大雨により洪水が発生し、水が西門から入り、三丸大御門の土橋が切れた。このため、6月27日~29日の3日間で合計350人で修繕したが、7月10日に大雨となり、修繕した箇所が再び破壊された。(「今治夜話」による)/また、6月23日には... 続きを読む
昭和57年(1982)9月24日~25日、台風19号により、玉川町で雨量333ミリ(町役場)、田の流失・埋没70箇所、文教施設3箇所、道路16箇所、河川4箇所、林道9箇所、農道80箇所、農地100箇所、水路150箇所、池4箇所、頭首工3箇所、農産物(みかん、な... 続きを読む