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昭和54年5月の山火事

昭和54年(1979)5月19日午後0時47分、近見山山麓の延喜片垣池付近から出火し、西風にあおられ103haを焼失した。消火などには、消防団員ら1,100人、自衛隊員200人、今治署員80人が当たった。市では火災後、緊急治山事業や可搬ポンプの充実などを検討し... 続きを読む

昭和54年4月の山火事

昭和54年(1979)4月14日午後1時45分頃、高部のワラビ山から出火して、国立公園の近見山に燃え広がった。15日午前8時まで18時間燃え続け、雑木林50haを焼失した。消火には市との近隣の町の消防団と住民の約1,000人、自衛隊167人が当たった。 続きを読む

昭和51年の台風17号

昭和51年(1976)9月8日、台風17号の影響により降り出した雨が、12日までに500ミリ前後に達した。その後、台風は急速に北上し、九州西部に上陸して福岡を経て日本海に抜けた。このため、玉川町では谷山川、与和木川が氾濫して死者4人、42億円の被害を出した。今... 続きを読む

昭和45年の台風10号

昭和45年(1970)8月21日午前9時、台風10号は高知県佐賀町に上陸し、11時には松山を通過して最大風速40mを超え、広島から中国山地を横断して日本海へ抜けた。今治では午前8時頃から烈風とうねりが海岸に押し寄せ、岸壁を破壊し、海水が市役所付近まで浸入した。... 続きを読む

昭和36年の台風

昭和36年(1961)10月26日、台風により、午前10時頃には東北東の風8m、正午過ぎには海上で20~25mを記録した。3m余の高波により、築港内の輸入木材数百本の繋索が切れ、第三桟橋は渡橋が落ちて使用不能となり、天保山埋立地の工場群に被害が出た。水田の浸水... 続きを読む

昭和35年の高波

昭和35年(1960)2月8日正午過ぎ、海上自衛隊の警備艦「たかなみ」(1,700トン)が今治沖を全力で呉港に向かった折り、美保町の海岸に高さ2余の高波が打ち寄せ、海岸の約200隻の漁船がぶつかり合って10隻が大破、90隻が小中破し、重傷者2人が出た。 続きを読む

大正15年の洪水

大正15年(1926)7月6日午後2時から降り出した豪雨は、7日深夜に最も激しくなった。このため、浅川、蒼社川の2支流が氾濫して、別宮・今治校区の約5,000戸が浸水し、寺町、室屋町、北新町、慶応町では1,000戸が床上浸水、井戸水と便所が混同した家は700戸... 続きを読む

明治26年の洪水

明治26年(1893)10月14日午前4時頃、数日来の風雨と豪雨により、蒼社川、頓田川、谷山川などの河川が決壊し、全市域に壊滅的な被害をもたらした。蒼社川は山手橋付近、郷橋付近、高紹寺付近で大きく決壊した。全市の死者は23人以上、田畑の流失は1,000町歩以上... 続きを読む

明治17年の台風

明治17年(1884)8月25日、台風による暴風雨と高潮で甚大な被害が出た。被害は海岸地域に集中し、高さ1.5m以上の高潮によって、沿岸の家屋、堤防、道路などは壊滅状態で、復旧には多年を要した。清水地区では南西の暴風により、人家や大木が倒れた。新谷三島神社境内... 続きを読む

昭和47年の集中豪雨

昭和47年(1972)9月8日、集中豪雨。9月8日~9日雨量207.4ミリ、最大時間雨量76.2ミリ、災害救助法発動。重軽傷8名、全壊家屋2戸、半壊家屋12戸、床上浸水972戸、床下浸水5,496戸、田畑流失39ha、冠水田畑798ha、がけ崩れ586箇所、鉄... 続きを読む

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