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文政9年(1826)5月の水害について、志津川の米田屋の旧記「旧覚用筆誌-文政七申歳武智幸脩」は次のように記している。「5月20日夜より降り出した雨は、21日の夜になって大雨となり、22日には大川筋村々に水害を生じた。田地は大痛みになり、山村では大潰え抜けがあ... 続きを読む
昭和59年(1984)4月19日の豪雨では、宮前川の放水トンネル内に濁流が流れ、作業員5人があわや流されるという騒ぎがあったほか、中の川のごみをせき止める格子にごみがつまって増水し、道路が水浸しになった。 続きを読む
昭和54年(1979)6月26日から7月2日まで豪雨が襲い、松山市では405ミリの降雨量を記録した。市内の各池も氾濫の恐れが出たため、避難命令が出され、新中村橋の橋脚がえぐられるなど水害復旧に9億円を要する被害が出た。 続きを読む
昭和45年(1970)8月21日、台風10号により、松山市で風速40.7mを記録。市内の幹線道路は、排水や下水路の整備が悪く、水浸しとなった。また、松山観光港の浮桟橋が沈むなどした。 続きを読む