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大正元年(1912)9月23日、昨日来の雨により、重信川、石手川の所々で決壊し、余土、垣生は惨状を呈する。南吉井村も牛淵の南堤防など数箇所で決壊し、田園家屋の流失少なからず。この時、南野田の主要水源・龍沢泉が埋没。(見奈良の「相原日記」による) 続きを読む
明治40年(1907)7月10日、昨夜来の雨により、重信川大いに出水。午後、牛淵の南堤防決壊し、稲田を流失させたが、多くの人が出て防御して大害にならずに済んだ。11日夜、昨夜来の雨が激しくなり、牛淵南堤防が破壊されたため、主に南野田の人がみな出て防御したため大... 続きを読む
明治35年(1902)8月11日、昨年決壊した横河原の土手が再び決壊し、大水が見奈良に入った。また、横河原駅の東も切れ、水は内分に入り、婦女子が狼狽した。昨年7月に損傷した堤防の復旧工事が不完全なため、この被害となった。水害に関係ない樋口、志津川に任せず、川下... 続きを読む
明治34年(1901)7月15日、前日来の雨降り止まず、再び過日決壊した横河原の西堤防より大水が入った。見奈良、田窪を襲い、鉄道を所々破壊した。この出水は近来にないことであった。(見奈良の「相原日記」による) 続きを読む
明治34年(1901)6月30日、前日来の雨が止むことなく降り、夜になって重信川出水。横河原の西堤防決壊1町余に及び、天王社の東及び地蔵土手の外を南下して重信に入った。(見奈良の「相原日記」による) 続きを読む
明治29年(1896)8月18日午前3時頃、一昨日からの雨に加えて東風起こり、午前8時過ぎより風向きを南に変え、やがて西向きとなり、風雨が激しくなった。正午過ぎに横河原の西堤防が数十間破壊され、その水は見奈良の東部を流れ多くの田畑を流失させた。(見奈良の「相原... 続きを読む
明治26年(1893)10月14日、豪雨のため重信川大出水。田窪の人々は排志側に、見奈良の人々は横河原西堤防に参集し、死力を尽くして防御した。薄暮になって、川の東の北方や南方の堤防が破壊されたので、わが村は事なきを得た。(見奈良の「相原日記」による) 続きを読む
明治21年(1888)9月11日、昨夜来の大雨により横河原の堤防が破損し、田窪村の東南を水が襲い、人が奔走して防御した。すなわち、樋口村の字百軒という堤防を破壊し、横河原のほとんど全域が浸水した。水勢は二派に分かれ、一つは志津川村の中央駅の各家を押し流し、もう... 続きを読む