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昭和20年(1945)9月17日、枕崎台風が枕崎に上陸後、愛媛県の北西端を経て能登半島の東方に去った。県下の被害は、死者159人、負傷者328人、行方不明23人などとなった。稲作被害は3,700町歩、中糯・晩稲720町歩は収穫皆無であった。松前町では、17日夜... 続きを読む
昭和18年(1943)7月21日~24日の台風により、松山では平均雨量の5ヶ月分が4日間に降った。県下の被害は、死者114人、行方不明20人、家屋全壊1,132戸、床上浸水27,020戸、堤防決壊1,074戸などとなった。松前町では、23日午前9時に北伊予村徳... 続きを読む
大正12年(1923)7月11日~12日の大雨により、12日午後に石手川が決壊し、80余町の水田流失した。大谷川の出水も甚だしく、消防団員が総出動し、郡中署からも所長以下現場に出動し、警戒に努めた。矢取川も出水して神崎伊予神社付近に濁流が氾濫し、松前方面の稲に... 続きを読む
明治19年(1886)9月10日、台風により石手川の堤防決壊、櫛生村の山岳崩壊などで死者80人の被害を出した。この台風の被害により、松山測候所設立の気運が高まり、明治21年に県議会で測候所設立を可決し、23年1月1日から観測開始となった。 続きを読む
昭和38年(1963)1月9日、年末来の雪は平地部でも20cmの積雪となった。通学困難で臨時休校した学校もあった。約1ヶ月間は交通機関が途絶し、2月中旬になって雪の世界から解放されることになった。近年まれにみる長い大雪で、農作物にも、山林立木にも多大の被害があ... 続きを読む
昭和35年(1960)3月20日、滑川地区郷で大火があった。突風にあおられて8戸24棟全焼、老母1人、牛2頭、山羊2頭、綿羊1頭、鶏多数焼死、米穀、医療、農機具等を焼失した。火はさらに裏山に延焼し、山林250町歩を焼失し、翌21日午前3時鎮火した。罹災者44人... 続きを読む