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昭和20年(1945)9月16日、枕崎台風により、県下で死者・行方不明182人、家屋の全半壊17,898戸。中山町でも被害があったと思われる。 続きを読む
昭和38年(1963)1月1日より、雪が連日連夜降り続き、中山中学校の校庭では最大積雪深が80cmとなった。国道町筋では除雪車が運行して交通の回復をはかり、山間部では住民総出で除雪作業を行い通路の復旧をはかった。森林は雪折れ倒伏し、果樹、特にみかんの凍害裂傷の... 続きを読む
享保17年(1732)5月下旬から6月にかけて霖雨が降り続き、田畑にウンカが発生した。このため、7月中旬には伊予郡の野良には一本の青草も見られなかったと言われる。米作は収穫皆無で、麦作は2~3分作であった。飢えた農民は年貢米の集まる松山に食べ物を乞うて集団で押... 続きを読む
昭和18年(1943)7月21日から降り出した雨は22日夜より豪雨となって、重信川、砥部川、久谷川が増水した。その後、重信川堤防が決壊して奔流が堤防南側の水田を押し流し、拝志村堤防決壊による濁水が久谷川堤防を押し切り、双方相和して高尾田耕地を経て重信橋南40間... 続きを読む
享保17年(1732)5月下旬から降り出した雨は、7月上旬まで続き、重信川などが氾濫し、これに6月中旬から稲田に発生したウンカが追い打ちをかけて、飢饉となった。西南諸藩の中で松山藩の被害は特に甚大であり、藩から幕府への報告によると、藩内の餓死者は3,489人で... 続きを読む
昭和20年(1945)10月10日、阿久根台風により、重信川の堤防は各所で決壊した。上高柳でも内土手を含めて3箇所で決壊し、川原と化した。 この後、重信川は直轄河川改修工事を施工することになった。 続きを読む