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安永6年の大火

安永6年(1777)12月15日午後5時、魚棚一丁目東側の家から出火し、本町一丁目、裏町一・二丁目を残して6ヶ丁を焼失した。藩は町奉行に命じて米130俵を下付、被災者の救援にあたった。 続きを読む

宝永元年の大火

宝永元年(1704)正月10日夜、魚棚一丁目より出火し、裏町一丁目の一部を除いて町屋のほとんどを焼土と化した。藩は宗純の意により、横堀橋詰で町方全部に朝夕粥を施したほか、米372俵や応急資材として大量の木材、竹などを下付した。 続きを読む

寛文7年の大火

寛文7年(1667)2月3日午後3時、出火し、町方九ヶ丁ほとんど焼失、裏町一丁目のうちわずかに残すのみという大火となった。藩は御救米を与えて救済した。 続きを読む

文化13年の強雨

文化13年(1816)5月24日及び6月14日、強雨により洪水。8月3日及び23日、風雨により出水。田畑に損害あり、馬1匹流死。(「藤蔓延年譜」による) 続きを読む

文化9年の強雨

文化9年(1812)6月3日及び7月10日~14日、再度の強雨により、洪水となった。損害田2,833石余、畑171石余。(「藤蔓延年譜」による) 続きを読む

享和4年の風雨

享和4年(1804)5月14日及び7月25日~26日、大風雨による洪水。8月25日より降り出した雨は月末まで至り、大風雨により出水となった。損害田畑具尾計20,、907石余。(「藤蔓延年譜」による) 続きを読む

享和2年の洪水

享和2年(1802)5月18日、25日及び8月6日~7日の風雨、洪水により、損害田4,169石余、畑389石余。(「藤蔓延年譜」による) 続きを読む

寛政13年の風雨

寛政13年(1801)8月19日、風雨、洪水により、損害田4,014石余、畑488石余。(「藤蔓延年譜」による) 続きを読む

寛政4年の風雨

寛政4年(1792)7月26日、9月8日、再度大風雨による洪水のため、損害田3,624石余、畑299石余。(「藤蔓延年譜」による) 続きを読む

寛政3年の風雨

寛政3年(1791)、稲作植え付け後、雨降り続き、生育不順の上、出水などがあり、損害田畑合計6,118石余。(「藤蔓延年譜」による) 続きを読む

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