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平成7年3月の渇水

平成7年(1995)3月、吉野川流域で渇水。3月10日~4月28日、取水制限。 続きを読む

昭和28年6月の台風

昭和28年(1953)6月8日、台風が襲来し、県下の麦作に被害を及ぼした。その額は10億8,500万円と推定された。 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日の地震により、開発中の住吉新田などで大手囲いの堤が崩され、地盤が2尺(約60cm)ほど下がった。(笹木野神社文書による) 続きを読む

明治20年の県庁構内の火災

明治20年(1887)3月9日午後7時20分頃、県庁東長屋の燃料小屋から出火し、北手長屋30間余り及び東手長屋へ折曲がり7間余を焼失した。(普通新聞による) 続きを読む

昭和26年の富田小学校の火災

昭和26年(1951)12月23日午前4時頃、徳島市中央通3丁目の富田小学校南側校舎中央2階から出火した。当日は無風であったが、発見が遅く水利が悪かったため南校舎を全焼し、西校舎に延焼して合計24教室、付属体育館など延べ677坪を焼き、さらに火は南側に広がり民... 続きを読む

昭和9年の干ばつ

昭和9年(1934)5月から9月にかけて降雨なく、8月29日、30日に県下各地で雨乞い祈願が行われた。29日、雨雲を呼び寄せるためという県知事の要請により、善通寺師団では山砲隊に大麻山で300発の実弾射撃を行わせた。しかし、雨雲を呼び寄せることはできず、30日... 続きを読む

天正10年の洪水

天正10年(1582)9月5日、吉野川で洪水。中富川の合戦で大敗を喫した阿波三好家の十河存保は勝瑞に籠城し、長宗我部勢が包囲していたが、この吉野川の洪水で戦いの意志をくじかれた長宗我部勢が休戦に同意したことにより、十河存保は城を退去することができた。 続きを読む

寛文7年7月の火災

寛文7年(1667)7月27日、内町紀伊國屋町より出火、御役者屋敷・侍屋敷共合14軒、内町家数420軒、此丁数19丁58間、残家数25軒。(「阿淡年表秘録」「徳府世情ひかえ」による) 続きを読む

慶長9年の地震

慶長9年(1604)12月16日、宍喰浦で辰半刻(午前8時頃)より申上刻(午後3時頃)にかけて大地震が起こり前代未聞の大変であった。酉上刻(午後5時半頃)月の出の頃より大波海底すさまじく惣所中の泉よりいず湧き出るところ2丈(約6m)余上り、その外地さけ泥水湧き... 続きを読む

享保7年6月の洪水

享保7年(1722)6月23日、風雨洪水。被害は阿波国で損耗8,375石9斗余、流家311軒、男1人、牛馬6匹。(「阿淡年表秘録」による) 続きを読む

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