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慶長元年の地震

慶長元年(1596)7月12日、豊後の地大いに震い、府内近傍は津波の襲う所となった。瓜生島の大部は沈下して海水に被われ、死者708人を出した。(「大日本地震史料」による)松山市余土の薬師寺では、大地震により、本堂仁王門が崩れたと伝えられている。(「伊予温故録(... 続きを読む

安政4年の地震

安政4年(1857)8月25日辰下刻、松山大地震。(「松山叢談(池内家記)」による)強震続くこと七昼夜、地元民は兢々として家を閉じて竹林に避難した。(「新居郡誌」による) 続きを読む

慶長9年の地震

慶長9年(1604)12月16日、東海、南海、西海の諸島地大いに震い、大津波を伴い、土佐及び阿波宍喰で溺死するもの夥し。(「大日本地震史料」による)伊予の文献はないが、当然相当の影響があったと推測される。 続きを読む

明治38年の地震

明治38年(1905)6月2日、震度5の地震があり、松山、温泉、越智、伊予の各郡で被害。震央地は安芸灘。(気象台資料による) 続きを読む

慶長19年の地震

慶長19年(1614)10月25日、大地震により、山崩れのため泉脈が塞がれた。(「伊予温故録(温泉伝記)」による)地震あり、湯出ず、その後月を越えてまた出始めた。(「松山叢談」による)伊予国地震い、道後温泉一時湧出を止む。(「大日本地震史料」による) 続きを読む

明治40年の地震

明治40年(1907)8月7日、豊予海峡を震央とする地震により、西宇和郡で強震被害あり。(気象台資料による) 続きを読む

寛永2年の地震

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寛永2年(1625)3月18日、地震により、温泉塞がる。松山城主蒲生忠知命じて湯神社で祈祷した。(「松山叢談」、「伊予温故録(温泉伝記)」による) 続きを読む

昭和21年の南海地震

昭和21年(1946)12月21日、南海道地震により、死者27人、負傷者28人、全壊家屋1,133戸、県下の海岸線は平均40~50cm地盤沈下し、道後温泉の湧出が半年間止まった。(気象台資料による) 続きを読む

寛永7年の地震

寛永7年(1630)11月5日、地震により、泉脈閉塞した。(「大日本地震史料(道後温泉誌)」による) 続きを読む

慶安2年の地震

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慶安2年(1649)2月5日、伊予・安芸両国地大いに震い、宇和島、松山の二城の石垣崩れた。(「大日本地震史料」による)2月19日、予州松山より飛脚到来して申すには、今月5日、当所大地震につき城の石垣20間、塀30間余崩れたとのこと、また20日予州宇和島より飛脚... 続きを読む

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