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昭和21年の南海地震

昭和21年(1946)12月21日4時19分、潮岬南方の南海トラフで南海地震が発生し、津波を伴い、被害は中部地方から九州に及んだ。愛媛県の被害は死者96人、負傷者32人、住家の全壊155戸、半潰425戸、家屋の浸水320戸等を記録した。三瓶町では震度4で、震害... 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日、潮岬南方を震源とするM8.4の地震が発生し、それに伴い津波も発生した。愛媛県内の記録は極めて少ないが、宇和島の「伊達図書館蔵古書書抜」によると、御城内は所々破損し、田503町余、高7,273石、家等が破損・流失し、死人8人、半死... 続きを読む

昭和43年の日向灘地震

昭和43年(1968)4月1日9時42分、日向灘でM7.5の地震が起こり、津波が発生した。三瓶では震度4であった。陸上の被害は高知・宮崎県で大きかったが、愛媛県では南予を中心に津波により港湾施設の床上浸水や、真珠いかだ・ハマチ網などの養殖漁業施設の被害が出た。 続きを読む

寛延2年の地震

寛延2年(1749)4月10日巳の下刻、瀬戸町三机周辺部を震源とするM7.0の地震が発生し、宇和島城が破損し、その他にも被害が多く出た。(「宇和島御記録抜書」による)三瓶町でも家屋などに多少の被害があったと考えられる。 続きを読む

昭和43年の宇和島沖地震

昭和43年(1968)8月6日1時17分、吉田西方沖でM6.6の宇和島地震が発生した。三瓶町では震度5で、愛媛県西部を中心に被害が出た。船舶、通信施設、鉄道が小被害を受けた。また、宇和島では、重油タンクのパイプが破損し、重油170キロリットルが海上に流出した。 続きを読む

明和6年の地震

明和6年(1769)7月28日八ツ時半、強震あり。(「宇和島御記録抜書」による)三瓶地域では、家屋の崩壊はなかったかも知れないが、相当の震度であったと思われる。 続きを読む

文化9年の地震

文化9年(1812)3月10日夜6ツ半時、伊予灘東部でM6.9の地震が発生した。「松山史要」によれば、3月10日より15日まで地震が起こり、損害が多かった。三瓶町でも、ある程度の揺れはあったものと思われる。 続きを読む

安政元年の東海地震

安政元年(1854)11月4日、浜松南方洋上の南海トラフでM8.4の東南海地震が発生し、津波が房総から土佐の沿岸を襲った。震央、波源域の位置から、三瓶町では震害、浪害もほとんどなかったのではないかと考えられる。 続きを読む

安政元年の南海地震

安政元年(1854)11月5日申の中刻、紀伊水道南方でM8.4の巨大地震が発生し、津波を引き起こした。西宇和郡の被害については記録がないが、「愛媛県管内津波被害調書」によれば、津波が到達した高さは、三瓶町及び川之石町では平均潮位より3.5m、伊方村では4.0m... 続きを読む

安政4年の地震

安政4年(1857)8月25日辰の中刻、松山市高浜沖を震源とするM6.4の地震が発生した。この地震により、今治城の石垣が孕み、塀が倒れ、その他ところどころ破損した。また、郷町の潰家3戸、半潰8戸、死者1人で、松山でも被害があったらしい。大洲城内でもところどころ... 続きを読む

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