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宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日、M8.4の地震が発生。有史時代最大の地震と言われ、土佐国内で亡所浦61、半亡所浦4、流家11,067軒、壊家5,608軒、破損家1,772軒、損田45,170石、死傷1,760人等と記録されている。「山田家文書」によると、地割れ... 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日未の上刻(午後2時)、土佐国中で大地震が起こり、郡市の官舎・民屋の多くが倒壊して人畜の死傷多数であった。また、未の下刻(午後3時)、津波が襲来して海辺の家屋・人畜が数え切れないほど流亡した。津波は寅の刻(午前4時)までに11回に及... 続きを読む

安政元年の地震

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安政元年(1854)11月4日~5日に最大M8.4の地震が発生。土佐国内の被害は、民家焼失2,460軒、流失3,182軒、潰家2,939軒、半潰8,880軒、田地21,530石余、死者372人、負傷者1,808人等と記録されている。上岡八幡宮馬場先の安政地震記... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月4日辰の下刻(午前9時)、小震あり、その後八ツ時(午後2時)までに3回の干満あり。この夜小震3回に及ぶ。5日七ツ過ぎ(午後4時頃)、未曾有の大地震が起きて、家屋は将棋を倒すが如く倒壊した。ちょうど夕方の炊事の時で、たちまち各所で火災が... 続きを読む

昭和21年の南海地震

昭和21年(1946)12月21日午前4時19分、M8.1の南海地震が発生。震動時間は約7分間も続いた。 続きを読む

安政元年の南海地震

安政元年(1854)11月5日七ツ時(午後4時頃)より大地震となり、津波が打ち込み、浦々、城下とも人や家に大被害を与えた。12月10日、14日夜、30日にも大地震が発生した。翌年1月、2月まで地震がない日は一日もなかった。(「天地の間の事覚附」による) 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日、大地震と津波。「田村誌」によると、津波は前浜の東、古湊の切戸を押し切って大潮が北上して、伊都多神社の前から東の窪まで来た。このため、人々は大藪の中に畳や筵を敷いて過ごしたり、立田村や岩村の辺りまで逃げたものもあるという。また、「... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月4日、5日、大地震と津波。「立田村誌」によると、4日では第二震の時の津波が高く、立田近くまで押し寄せてきたため、人々は山田方面に逃げたり、竹藪に畳や筵を敷いて過ごした。5日にも地震が起こったが、夕方になり人々が安心して避難して帰宅して... 続きを読む

昭和21年の南海地震

昭和21年(1946)12月21日午前4時過ぎ、南海大地震が発生した。地震と津波による高知県内の被害は、死者670人、負傷者1,836人、住家全壊4,834戸、半壊9,041戸、浸水家屋5,608戸などであった。この地震は海岸線に大きな影響を及ぼし、室戸岬と足... 続きを読む

昭和21年の南海地震

昭和21年(1946)12月21日、南海地震により大きな被害を受けた。一方、国分川改修の実現にとっては好機となった。国分川南岸の人々の永年の主張が認められて、昭和22年に地盤沈下の復旧事業として、国分川川口から岡豊村中島の水越までの河川改修が着工された。 続きを読む

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