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昭和21年の南海地震

昭和21年(1946)12月21日午前5時頃、大地震が起こり、高知市や須崎港などが大津波に襲われ、人畜、家屋の被害が莫大であった。高吾北の町村でも各地で堤防、道路の決壊、落石、亀裂などの被害は多かった。斗賀野の舟床では1人が土砂流出の犠牲となった。 続きを読む

安政元年の南海地震

安政元年(1854)11月5日7ツ過ぎ(16時)に南海道沖大震が起こり、家屋倒壊は将棋を倒すが如くで、折から晩さん炊事の時であったため火災が起こり凄惨を極めた。津波被害は、高知で流家1,676戸、潰家568戸、死者106人、宇佐・福島では残る家70間、溺死70... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月4日、大地震があり、斗賀野村では所々で崩壊、家屋倒壊が多く、人畜被害も多少あった。この地震で、東組大平上方の光り岩の大岩が転落したと伝えられ、その岩石は現在谷の北側にある。 続きを読む

昭和21年の南海地震

昭和21年(1946)12月21日午前5時頃、大地震が起こり、高知県の被害は最も甚大であった。被害は石崖、堤防、道路の決壊、落石、亀裂などが多く、家屋の間接的被害は斗賀野村全村に及んだが、人畜被害や倒壊家屋はなかった。 続きを読む

宝永4年の地震津波

宝永4年(1707)10月4日の宝永地震による土佐市域の津波被害の様子は「谷陵記」に記されている。仁淀川の潮は八田村の渡場まで達し、新居村は全滅した。潮は山まで達し、山腹の家が少し残る。宇佐村は全滅し、潮は橋田の奥、宇佐坂の麓、萩谷口まで達し、山上の家が一軒残... 続きを読む

安政元年の南海地震

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安政元年(1854)11月5日、地震津波が来襲した。「真覚寺日記」には被害の様子が詳細に書かれている。午後5時頃未曾有の大地震が起こり、人々は狼狽し、子どもは叫ぶ。間もなく山のような津波が来て、宇佐、福島一面の海となる。津波はこの夜8、9回来たが、1番波よりも... 続きを読む

昭和21年の南海地震

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昭和21年(1946)12月21日午前4時20分、南海地震が発生し、土佐市内では宇佐を中心に死者・行方不明3名、負傷58名、家屋倒壊151戸、家屋半壊831戸、家屋流出341戸、罹災者6,114名、船舶流失42隻などの大きな被害が出た。宇佐は津波被害を受けてい... 続きを読む

宝永4年の地震

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宝永4年(1707)10月4日午前11時頃から大地震が始まり、午後1時頃から大潮が入ってきた。人家は悉く押し流され、溺死者数は数えきれず、屍はあたかも筏を組むように水上に浮かんでいて、悲惨の極みであった。各地の被害は以下のとおりである。宇佐では潮は橋田の奥、宇... 続きを読む

安政元年の地震

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安政元年(1854)11月4日午前11時大地震が起こり、津波が7、8度押しよせたが人家までは来なかった。翌5日午後5時頃、未曾有の大地震が発生し、山崩れ、人家倒壊が起こり、人々が救助を求めているところに大津波が襲来した。宇佐村で残った家は60軒で、溺死10余人... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月4日午前9時頃地震が起こったが、気にするほどのものではなかった。翌5日は晴れ渡り、風もない静かな日であり、人々は刑部籔三社大明神の神事で杯を交わしていた。そこへ夕刻七ツ半時(午後5時)頃、大地震が起こった。山々が崩壊し、家屋が次々と倒... 続きを読む

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