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昭和21年の南海地震

昭和21年(1946)12月21日午前4時15分、大地震が起こった。海岸地帯では津波の襲来を予期して、人々は城山や海運寺山に避難した。高さ3、4mの津波は5回にわたって襲来し、家屋や漁船が流失したが、津波による死傷者はなかった。地震・津波による被害は死者2人、... 続きを読む

天武天皇13年の地震

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天武13年(684)10月14日、地震が発生した。日本書紀には「土佐国の田苑五十余万頃、没して海となる。」と記されており、このことは「五社鎮座傳記」(甲把瑞益著)にも引用されている。この地震により黒田郷の沈没などが伝承されているが、志和の諏訪神社は白鳳の地震で... 続きを読む

慶長9年の地震

慶長9年(1604)12月16日、地震が発生し、土佐の国全域にわたって大きな災害となった。特に東部の佐喜浜村では大潮や津波により3,800人余の死者があったと記録されている。 続きを読む

寛文元年の地震

寛文元年(1661)11月19日、大地震が発生したと伝えられているが、古文書等の記録が残っていないので、詳細は不明である。 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日巳の刻(午前10時)に大地震が発生し、土佐国中で死者1,000人余と伝えられている。特に上の加江や矢井賀、志和村では山際まで津波が到達した。この大地震の状況を記録した古文書「宝永大変記」の原文が掲載されている。 続きを読む

安政元年の地震

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安政元年(1854)11月4日午前9時頃、大地震があったが異変はなく、翌5日夕方に大震動とともに、家は壊れ、山が崩れた。震動が止むと、海岸地帯では津波が押し寄せて、興津の浦分ではほとんどの家屋が津波で流失したという。津波は浦分の山際にある西宝寺近くまで来たとい... 続きを読む

昭和21年の南海地震

昭和21年(1946)12月21日午前4時頃、大地震が発生した。その後、高知市、須崎、久礼では津波に見舞われ、中村では火災も発生するなどして、県下のほとんどの市町村で被害を受けた。窪川町の被害は死者1人、負傷者2人、家屋の倒壊18軒、半壊63軒、浸水32軒、道... 続きを読む

安政元年の南海地震

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嘉永7年(1854)11月5日午後4時過ぎ、大激震が起こり、ついで大津波が押し寄せた。入野の加茂八幡宮の境内にある「安政津浪の碑」によると、地震により瓦屋、茅屋とも家は全て倒壊し、人々が登った山頂から見ると、西の牡蠣瀬川から東の吹上川にかけて津波が押し寄せたこ... 続きを読む

天武天皇13年の地震

天武天皇13年(684)10月14日、地震が発生した。日本書紀によると、「人定に至りて、大きに地震る。国こぞりて男女叫び唱いてまどいぬ。則ち山崩れ河湧く。諸国の郡の官舎及び百姓の倉屋、寺塔神社、破壊之類あげて数うべからず。是によりて人民及び六畜多く死傷す。時に... 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日、大地震が起こった。奥宮正明の「谷陵記」によると、入野郷では井田、浮津、入野、鹿持、下田ノ口の5村が亡所(村全体が全滅状態)、有井河、上川口、田野浦、出口、井屋の5村が半亡所となっている。大潮が四万十川を遡行して、宇山と津野崎の境... 続きを読む

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