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昭和21年の小筑紫の火災

昭和21年(1946)12月21日午前4時20分に起きた南海道沖地震直後に、小筑紫の民家から出火した。原因は暗がりの中で避難するために火を付けたマッチの燃えかすが燃え移ったもので、小筑紫の繁華街19戸を焼失した。この時、付近の人々は津波の襲来を恐れて高いところ... 続きを読む

昭和21年の南海地震

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昭和21年(1946)12月21日午前4時20分、南海道沖地震が起こった。地震による被害は宿毛の町が大きかったが、津波による被害は大島や片島で大きかった。宿毛町の被害は死者6人、重軽傷者58人、家屋の全壊185戸、半壊390戸、浸水520戸、防潮堤決壊153軒... 続きを読む

宝永4年の地震

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宝永4年(1707)10月4日、大地震が起こり、津波が来襲した。「谷陵記」では「汐ハ和田ノ奥或ハ牛ノ瀬川ヲ限ル」と記され、津波が松田川を遡り、河戸堰を越えて和田の奥の中角境付近まで達したようである。また、大島村庄屋の「小野家家譜」には、大津波が島中の在家を流し... 続きを読む

安政元年の南海地震

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嘉永7年(1854)11月5日、大地震が起こった。「甲寅大地震御手許日記」によると、津波が総曲輪の八反の大堤を押通って1丈の高さで水田内に入り、兜ばなより錦口までの間で10箇所ほどが切れ、与作池の西の石堤も潰れ、河戸堰の二番井流も被害を受けた。松田川を遡った津... 続きを読む

昭和21年の南海地震

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昭和21年(1946)12月21日、地震が起こり、津波が襲来した。この津波では中新田から片島の鷲州橋間の道路コンクリート舗装が浮き上がった程度で、総曲輪にはほとんど被害はなかった。河戸堰のすぐ下まで津波が来たが、堰には上がらなかったので、河戸堰には津波による被... 続きを読む

天武天皇13年の地震

天武天皇13年(684)10月14日、土佐国を震源地とした大地震が起こった。上下3千年を通じて稀に破壊的な大地震であった。文献によると、至る所で山崩れ河湧き、諸国の郡官舎及び百姓の倉庫、寺塔、神社等の破壊は数えきれぬほど甚大なもので、人民六畜の死傷おびただしく... 続きを読む

慶長9年の地震

慶長9年(1604)12月16日、地震が起こり、続いて海嘯が起こった。土佐国佐喜浜のみで3,806人の死者を出した。 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日未上刻、大地震が起こり、屋舎の倒壊、人畜の死傷がおびただしかった。地震に続いて海嘯が発生した。谷陵記では、地震により国中の官舎・民屋は悉く転倒し、谷間では落石により死傷する者もあり、その後の津波は未下刻から寅の刻まで昼夜11度打ち... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月4日朝5ツ時過ぎ、大地震が畿内、東海、東山二道の諸国を襲い、翌日には南海、西海、山陽、山陰四道の諸国を襲った。その後1年間は余震が続き、ついに安政2年10月2日の大地震を惹起した。この経過については喜之助が記した「三災録」に詳しい。こ... 続きを読む

昭和21年の南海地震

昭和21年(1946)12月21日午前4時15分、大激震が起こり、まもなく津浪が襲来し、さらに各地で火災が発生した。また、土地の隆起と沈下により、浸水被害や船の出入りが困難となる被害も甚大であった。県下の被害は、死者・行方不明者679人、負傷者1,836人、家... 続きを読む

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