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宝永4年の地震

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宝永4年(1707)10月4日午前10時頃より大地震、11時頃におさまった。大地は一面に割れ、家や木は乱れ崩れ、高山から大石が落ちて重なった。正午頃、大波が来るので高い山に逃れよと聞こえてきた。間もなく、白波が立った大波が見えたので、人々は右往左往して逃げ上っ... 続きを読む

昭和21年の南海地震

昭和21年(1946)12月21日午前4時19分、南海道地震が発生した。徳島で震度5の激しい水平動であった。小松島市では、海岸線が70cm沈下し、和田ノ鼻で10~15mの汀線後退があった。小松島港では、地震後約30分ほどで神田瀬川の水が急に引き始め、今度は大波... 続きを読む

安政元年の地震

嘉永7年(1854)、伊豆、相模を震源とする大地震により7日7夜、大津波があり、立江と櫛渕の境まで津波で魚が打ち上げられ、拾う人が多かったという。 続きを読む

昭和21年の南海地震

昭和21年(1946)12月21日午前4時19分頃、南海道地震が発生し、徳島県でも特に海岸部で大被害が起きた。当時を知る人の話によると、地震後、赤石港では潮が沖に引いたが、10分もしないうちに猛烈な高波が押し寄せ、四ツ井利に打ち寄せた潮は30~40mの高さの水... 続きを読む

大正12年の地震

大正12年(1923)12月5日午前8時40分、強震があった。(長田八百三氏日記、横瀬町史等による) 続きを読む

昭和21年の南海地震

昭和21年(1946)12月21日、南海大地震により、勝浦町では段々畑のミカン園の石積みや、高台で石垣をめぐらした住宅等に被害が出たが、詳細な記録はないので、それほど大きな被害ではなかったのではないか。ただし、横瀬町では横瀬橋、坂本橋、伝染病院などの復旧費1,... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月5日~6日、大地震のため、田野々の刈揃(かぞろ)山北側の山辺りに東西方向に延々と亀裂が生じた。 その後、大雨の浸透により、安政2年(1855)8月、刈揃山は大崩壊し、現在のような蛇紋岩の赤裸々な山肌を露呈した。大崩壊の轟音は遠く樫原村... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月5日~6日、大地震のため、田野々の刈揃(かぞろ)山北側の山辺りに東西方向に延々と亀裂が生じた。 その後、大雨の浸透により、安政2年(1855)8月、刈揃山は大崩壊し、現在のような蛇紋岩の赤裸々な山肌を露呈した。大崩壊の轟音は遠く樫原村... 続きを読む

康安元年/正平16年の地震

康安元年/正平16年(1361)6月24日午前4時頃、紀伊半島沖を資源とするM8.4の大地震が起こり、大津波が発生した。大阪、高知、徳島沿岸で大きな被害が出たが、海部郡の由岐では1,700戸の家屋が流失し、60余名が流死した。 続きを読む

慶長9年の地震

慶長9年(1604)12月16日午後8時頃、房総半島東沖と室戸岬沖の2つを震源としたM7.9の地震が同時に起き、大津波による被害が犬吠岬から九州に至る太平洋沿岸に及んだ。徳島県では宍喰で1,500余名の犠牲者を出す被害となった。 続きを読む

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