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慶長9年の地震

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慶長9年(1604)12月16日辰の半刻(午前8時)より申の上刻(午後4時)まで大地震で、大海が3度鳴り渡った。戌の下刻(午後9時)頃に大津波が襲来し、宍喰浦中の井泉から水が2丈余も湧き上がり、大地は裂け泥水が吹き出した。家は一軒も無しとなり、宍喰で1,5... 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日巳の下刻(午前11時)より午の下刻(午後1時)まで大地震で、地大いに震い地割れ、ややあって大潮が来た。鞆浦では潮の高さは1丈余で、多善寺で6、7歳位のことであり、善祥寺付近では座上1尺位であったため、鞆浦では家屋の損害や怪我人もな... 続きを読む

康安元年/正平16年の地震

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康安元年/正平16年(1361)6月の地震に伴い、「太平記」では「阿波ノ雪ノ湊」に津波が襲来したことを記載している。この時期の地震記録については、当時の公家の日記「後愚昧記」や「愚管記」などにも多くの記事が見られる。また、東由岐字大池の山腹には康暦2年(138... 続きを読む

永正9年の津波

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永正9年(1512)8月、宍喰浦に津波が襲来したことが「宍喰浦旧記」に記されている。これによると、特に被害が大きかったのは宍喰浦のうち南町で、3,700余人が津波犠牲者になったことが知られる。この地震津波の記録は「大日本地震史料」には見当たらないが、明応7... 続きを読む

安政元年の南海地震

嘉永7年(1854)11月5日、南海沖の地震により、徳島の沿岸部は多大な被害を受けた。蜂須賀家の編年史である「阿淡年表秘録」によると、発生後11日で阿波国内での被害は石高85,000石余、潰家2,795軒、流失家3,800軒、焼失家3,570軒、死者150... 続きを読む

昭和21年の南海地震

昭和21年(1946)12月21日の南海大震災により、県下は大被害を被った。特に浅川や牟岐町などをはじめ海部郡の下灘地方を襲った津波の被害は甚大で、200人余の死者を出すという惨状を呈した。 続きを読む

天平6年の地震

天平6年(734)4月7日、大地震が起こり、天下の百姓家屋を壊(やぶ)り、圧死した者多く、山崩れ、川塞がるところも、地の柝裂したものも数多かった。12日、使を畿内七道に遣わして被害を調査した。(「続日本紀」による) 続きを読む

延暦24年の地震

延暦24年(805)12月7日、大地震に逢い、頗る農桑を損じた。阿波、讃岐、伊予等の諸国に対して、当年の庸を免ぜられた。(「類聚国史」による) 続きを読む

仁和3年の地震

仁和3年(887)7月30日、五畿七道の諸国、地大いに震う。(「大日本地震史料」による) 続きを読む

康安元年/正平16年の地震

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康安元年/正平16年(1361)6月24日、南海道沖の大地震と海嘯で、海部郡雪の湊(由岐港)の1,700戸がことごとく海に沈み、在所の僧俗男女牛馬犬雞残らず海の藻屑となり、鳴門の潮が涸れたと伝えられている。(「参考太平記」による) 続きを読む

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