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昭和12年の水害

昭和12年(1937)9月8日から10日にかけて雨が続き、11日午前7時には風速35mの強風となった。繭集荷場と桑村の納屋が全壊した。水稲は出穂直後のため白穂となった。 続きを読む

昭和11年10月の水害

昭和11年(1936)10月1日~3日の雨により、吉野川が増水し、桑村の県道で5尺浸水、桑園も浸水した。気温の急低下により、水稲は結実不良となった。 続きを読む

昭和11年9月の水害

昭和11年(1936)9月8日、降雨続きによる水害のため、蚕作が不安定となった。 続きを読む

昭和4年10月13日の水害

昭和4年(1929)10月13日午後6時、12日から降り出した雨により、久保田の県道上で5尺浸水し、乾繭場で床上2尺となった。夜半から減水し、14日朝には交通が可能となった。桑園は冠水のため泥桑となり、晩秋蚕も捨てざるを得ない結果となった。 続きを読む

昭和4年8月の干ばつと水害

昭和4年(1929)、梅雨期に雨がなく、8月初めにはため池も底をついた。田畑では亀裂が生じ、枯死する寸前となった。8月7日頃に旱害はいよいよ強くなり、雨乞い祈祷の声が高まり、雨乞い祈願が行われた。満願の8月11日には、夜半頃から降り出した雨が風を伴って大豪雨と... 続きを読む

昭和4年10月24日の水害

昭和4年(1929)10月24日~26日の連続降雨により、麻植乾繭養蚕同業組合の乾繭場で出水が床上約1mとなり、機械類はすべて水没し、乾繭作業は不能となり、繭が発蛾する害が出た。 続きを読む

昭和3年8月29日の水害

昭和3年(1928)8月28日午後10時頃、暴風雨となり、29日に開催予定の納涼博覧会の施設は滅茶滅茶に破壊された。30日午前10時20分には吉野川樋門の水位が24尺にまで達した。水稲は出穂前に二昼夜以上冠水し、結実不能のものを生じ、桑葉も泥葉となり、秋蚕の掃... 続きを読む

昭和3年8月18日の水害

昭和3年(1928)8月18日、17日から降り出した雨により、水位は桑村中須の県道上で5尺となり、床上浸水家屋は30戸に達した。桑葉は摘桑した直後で被害は僅少であったが、夏蚕の被害は少なくなかった。 続きを読む

大正元年の洪水

大正元年(1912)9月23日朝8時、21日からのどしゃ降りにより、出水が頂点に達した。町役場の西側の薬師庵では、石の階段が下から2つまで浸かった。川島の商店街では、屋根の巴瓦が水没し、救援物資は配給する舟から二階の屋根伝いに受け取っていた。草葺屋根の2階を切... 続きを読む

明治44年の洪水

明治44年(1911)、吉野川洪水。この時の洪水は、徳島県では雨が降らないのに、吉野川上流の高知県で豪雨のため、下流で洪水となる「土佐水」であった。 続きを読む

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