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昭和15年の山崩れ

昭和15年(1940)7月8日、降り続いた雨により、泊の相田の谷の山崩れ、泊から田浦峠に至る区域の山崩れが起こり、田畑、家屋を押し流し、低地を埋め尽くした。このため、田浦では家屋倒壊により児童1人が死亡し、重軽傷者2人が出た。(泊尋常高等小学校長の「水害状況報... 続きを読む

享保9年の干ばつ

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享保9年(1724)、大日照りのため、島中で田11町歩が植え付けできなかった。 続きを読む

享保14年の干ばつ・台風

享保14年(1729)、大日照り、8月、9月には大風が吹き、作物ができなかった。 続きを読む

文化6年の干ばつ

文化6年(1809)、大日照りで、3月から7月まで雨降らず、米大不作。 続きを読む

明治37年の干ばつ

明治37年(1904)、大干ばつのため、水田に野井戸を造り始めた。 続きを読む

昭和35年7月の豪雨

昭和35年(1960)7月7日、8日の豪雨(96.2ミリ)により、村内全域の農道・水路の決壊やがけくずれがあり、農林省災害査定で30箇所9,090千円が、建設省査定で4箇所1,470千円が査定された。 続きを読む

昭和39年の干ばつ

昭和39年(1964)7月22日より8月22日まで一滴の雨も降らず、7月~8月でわずか8.2ミリの雨しか降らず、水田、果樹のかんがい用水をはじめ、飲料水も断水状態が続いた。このため、各地区で井戸掘りや、灌水用ポンプを設置し、かんがい用水の確保に努めた。 続きを読む

寛政2年の干ばつ

寛政2年(1790)7月、干ばつにより、松山藩で米の被害が7,450石に及び、藩庁では領民に対して倹約を続けるように命じた。木浦村では「この年(寛政2年)は旱害で、夏作、秋作とも大きな被害を受けました。」(木浦村年代記)と記されている。 続きを読む

昭和14年の干ばつ

昭和14年(1939)7月初めから夏型の気圧配置で、高温寡雨で、宮窪町では植え付けしてもその後の水不足のため収穫皆無となる田もあった。その中で、向側の共同耕作は特筆される。その方法は、脇田農事実行組合、法金農事実行組合が協力して、数原池掛りの水田7町6反余のう... 続きを読む

嘉永6年の大雨

嘉永6年(1853)5月17日から18日にかけて大雨が降り、木浦村では所々の川土手が切れて、特に持越、福浦、洗足あたりの田が砂に埋もれ、和田谷3箇所で土砂崩れが起こり、家が倒壊して死傷者がかなり出たという。 続きを読む

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