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明治18年の洪水

明治18年(1885)5月頃、大洪水が発生し、裏の山が崩れ、4歳の子どもが亡くなった。(「万福寺過去帳」による) なお、この時の宗方・口総・浦戸・野々江各村の被害状況が記されている。(「大三島町役場文書」による) 続きを読む

昭和23年の干ばつ

昭和23年(1948)、大干ばつのため、向側では昭和14年の干ばつに引き続いて2回目の共同耕作が行われた。総反別7町1反余のうち、3町8反余に植え付けし、67石4斗余の収穫があり、62戸の農家に分配された。 続きを読む

昭和47年の集中豪雨

昭和47年(1972)8月20日~21日に集中豪雨があり、町内各所で山崩れによる土砂が河川に流れ込んで氾濫し、決壊が相次いだ。なかでも口総大川は100m余にもわたって決壊し、多量の土砂が田に流れ込んだ。また、台山田本川では上流の洪水に谷間のみかん畑が次々と押し... 続きを読む

嘉永6年の干ばつ

嘉永6年(1853)5月22日から8月12日まで、夕立、小雨を除いて、雨が降らず、干ばつとなった。各所で雨乞い祈祷が行われたが、旱害がひどく、稲作皆無の所もあったため、今治藩では米麦の貸し付け、検見の延期、年貢取り立ての猶予などにより、領民の救済を図った。(椋... 続きを読む

明治5年の地震

明治5年(1872)2月6日から3月6日まで、1ヶ月間の長期にわたって、断続的に地震が起こり、人々に恐怖を与えた。(椋名の庄屋・柳原家の記録「柳原家記録願控」による) 続きを読む

昭和55年の豪雨

昭和55年(1980)7月8日から降り出した雨は5日間断続的に降り続き、総雨量は253ミリに達した。町内全域に河川の氾濫、決壊が相次ぎ、道路の崩壊、人家裏のがけ崩れなどの被害が出た。人家裏のがけ崩れは26件発生し、宮浦では老人夫婦が土砂の下敷きになり重傷を負っ... 続きを読む

昭和15年の山崩れ

昭和15年(1940)7月8日、降り続いた雨により、泊の相田の谷の山崩れ、泊から田浦峠に至る区域の山崩れが起こり、田畑、家屋を押し流し、低地を埋め尽くした。このため、田浦では家屋倒壊により児童1人が死亡し、重軽傷者2人が出た。(泊尋常高等小学校長の「水害状況報... 続きを読む

享保3年の干ばつ

享保3年(1718)、日照り凶作のため、御公儀(松山藩)から550俵の給付があった。(「越智嶋旧記」による) 続きを読む

明治5年の地震

明治5年(1872)2月6日から3月6日まで、1ヶ月間の長期にわたって、断続的に地震が起こり、人々に恐怖を与えた。(椋名の庄屋・柳原家の記録による) 続きを読む

享保9年の干ばつ・高潮

享保9年(1724)、大干ばつのため、田植えできない田が11町あった。その上、9月14日高潮により新田堤が各所で決壊した。(「越智嶋旧記」による) 続きを読む

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