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寛政2年の干ばつ

寛政2年(1790)夏、干ばつ。(「松山叢談」による) 続きを読む

大正12年の石灰山の崩壊

大正12年(1923)6月21日、長雨によって小大下の石灰山が崩れ、人家の埋没15戸、半壊5戸、圧死者2人の被害が出た。河川14箇所340間、道路2箇所21間が要修理となり、災害援護法による県費補助を受けて復旧した。 続きを読む

大正13年の石灰山の崩壊

大正13年(1924)6月17日、豪雨により石灰山が大崩れし、120人が衣食に窮したという。(「伊予明治史」による) 続きを読む

昭和42年6月の集中豪雨・干ばつ

昭和42年(1967)6月、200ミリの集中豪雨があり、8月~9月には100日間の干ばつが続いて、みかんの皮に凹凸ができた。 続きを読む

昭和42年7月の集中豪雨

昭和42年(1967)7月9日、集中豪雨があり、山崩れで岡村では12人が生き埋めとなり、うち6人が死亡した。また、大下でも3人の死者を出した。 続きを読む

寛文3年の干ばつ

寛文3年(1663)、干ばつ。(「松山叢談」による) 続きを読む

昭和15年の山崩れ

昭和15年(1940)7月8日、降り続いた雨により、泊の相田の谷の山崩れ、泊から田浦峠に至る区域の山崩れが起こり、田畑、家屋を押し流し、低地を埋め尽くした。このため、田浦では家屋倒壊により児童1人が死亡し、重軽傷者2人が出た。(泊尋常高等小学校長の「水害状況報... 続きを読む

享保3年の干ばつ

享保3年(1718)、日照り凶作のため、御公儀(松山藩)から550俵の給付があった。(「越智嶋旧記」による) 続きを読む

明治5年の地震

明治5年(1872)2月6日から3月6日まで、1ヶ月間の長期にわたって、断続的に地震が起こり、人々に恐怖を与えた。(椋名の庄屋・柳原家の記録による) 続きを読む

享保9年の干ばつ・高潮

享保9年(1724)、大干ばつのため、田植えできない田が11町あった。その上、9月14日高潮により新田堤が各所で決壊した。(「越智嶋旧記」による) 続きを読む

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