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寛文3年の干ばつ

寛文3年(1663)、干ばつのため、物成三分の一不納なり。(「松山叢談」による)7月、大干ばつのため、不作。(「新居郡誌」による) (註)九州及び江戸の史料(日本気象史料)では、この年4月~7月にわたる干ばつを掲げている。相当広範囲の干ばつだったのであろうか。... 続きを読む

明応4年の地震

明応4年(1495)8月15日、大地震ありて、被害多し。(「新居郡誌」による) (註)この日の地震については大日本地震史料に記載されているが、伊予に関する記事はない。新居郡誌は資料の出処、原典を全く記さず、かつ内容も時、所を具体的に記したものは極めて少なく、形... 続きを読む

寛文4年の干ばつ

寛文4年(1664)、干ばつ。(「松山叢談(垂憲録拾遺)」による) (註)この年の干ばつについては他に史料がなく、また他地方に関する干ばつを記す史料もなく、あるいは前年の誤りか。 続きを読む

明応7年の地震

明応7年(1498)6月11日、大地震あり、地すべりまたは土地陥没の所多かった。黒島(今の新居浜市)では一番激しく、土地が大いに陥没、崩壊し、面積の4分の3を失い、住民は四方に避散した。(「新居郡誌」による) (註)この日の地震については大日本地震史料に記載さ... 続きを読む

享禄4年の地震

享禄4年(1531)、大地震により、悉く湯桁が埋まった。河野通直命じて、湯桁を改築した。(「伊予温故録(温泉伝記)」による)10月、河野通直、道後温泉の浴槽を改造した。(「伊予史年表(伊予金石文)」による) 続きを読む

天正13年の地震

天正13年(1586)11月、大地震あり。(「新居郡誌」による) (註)天正13年11月29日の地震については大日本地震史料に記載されているが、震源は飛騨方面と思われ、伊予については引用史料はない。新居郡誌は他地方の地震でも相当広範囲、大規模なものについては「... 続きを読む

推古天皇13年の地震

推古天皇13年(605)、地大いに震い、温泉(道後)陥没す。(「大日本地震史料(東宇和郡沿革史、道後温泉誌)」による) (註)武者氏は「この地震正史に記載なく、疑はし」と註す。 続きを読む

慶長元年の地震

慶長元年(1596)閏7月12日、大地震により、薬師寺(余土村)の本堂、仁王門が崩れたと言い伝えられている。(「伊予温故録(薬師寺記録)」による) (註)大日本地震史料には「豊後地大に震ひ、府内近傍は津波の襲う所となり、瓜生島の大部沈下して海水に被はれ、死者7... 続きを読む

昭和18年の大雨

昭和18年(1943)7月、大雨が数日降り続き、僧都川の堤防が城辺地区で2箇所大きく決壊し、御荘町でも観栄橋付近で土手が崩れ、和口橋や観栄橋も流失し、田地が浸水したり、土砂に埋まるなど被害は甚大であった。菊川地区では、軍用資材の切り出しが行われていたため。各所... 続きを読む

寛政3年の干ばつ

寛政3年(1791)8月、旱害。 続きを読む

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