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寛延3年の干ばつ

寛延3年(1750)12月16日、松山で旱損高42,059石余の旨、御届あり。(「松山叢談(松山年譜)」による) (註)この年、日本気象史料には干ばつを記した文献は皆無である。 続きを読む

宝暦5年の干ばつ

宝暦5年(1755)夏、大旱して、森松村に新たに関を拵え、八瀬水を取り、麻生村の田作は旱上がり。(「大洲日記」による) 続きを読む

明和6年の地震

明和6年(1769)7月28日8ツ時半、強震あり。(「大日本地震史料(宇和島御記録抜書)」による) 続きを読む

天明5年の干ばつ

天明5年(1785)、干ばつ。12月20日、御領分、当夏干ばつ、田畑不熟のため、御損毛16,428石の御届あり。(「松山叢談(本藩譜)」による)/夏、干ばつ、損害大なり。(「日本気象史料(松山市史)」による)/干ばつ、大風、収穫少なし。(「新居郡誌」による) 続きを読む

元禄元年の地震

元禄元年(1688)5月23日、強震3回あり。(「大日本地震史料(宇和島御記録抜書、東宇和郡沿革史)」による) 続きを読む

寛政2年の干ばつ

寛政2年(1790)夏、干ばつ。12月23日、御領分、当夏の干ばつのため、田畑不熟、御損毛74,508石の御届あり。(「松山叢談(某家記)」による) 続きを読む

元禄7年の地震

元禄7年(1694)閏5月25日壬辰、伊予地大震。(「大日本地震史料(野史)」による)/伊予国で大地震、火事。(「大日本地震史料(続日本王代一覧)」による) 続きを読む

寛政11年の干ばつ

寛政11年(1799)夏、大に旱す。(「伊予風水害小史(宇和島覚書)」による) (註)記事簡単、傍証なし。 続きを読む

推古天皇13年の地震

推古天皇13年(605)、地大いに震い、温泉(道後)陥没す。(「大日本地震史料(東宇和郡沿革史、道後温泉誌)」による) (註)武者氏は「この地震正史に記載なく、疑はし」と註す。 続きを読む

慶長元年の地震

慶長元年(1596)閏7月12日、大地震により、薬師寺(余土村)の本堂、仁王門が崩れたと言い伝えられている。(「伊予温故録(薬師寺記録)」による) (註)大日本地震史料には「豊後地大に震ひ、府内近傍は津波の襲う所となり、瓜生島の大部沈下して海水に被はれ、死者7... 続きを読む

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