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寛延3年の干ばつ

寛延3年(1750)、干ばつにより、損毛42,059石余。(「松山年譜」による) 続きを読む

天明7年4月の洪水

天明7年(1787)4月25日、洪水により田799町余、畑364町余破損、山崩れにより遊子浦で3人、九島で1人、奥浦で6人死亡(宇和島領)。肱川洪水(大洲領)。 続きを読む

天保3年の干ばつ

天保3年(1832)7月~8月9日、大干ばつにより、宇和島・大洲・新谷・西条領等で被害が大きかった。 続きを読む

享保14年の干ばつ

享保14年(1729)6月22日、干ばつ。(大洲領の災害) 続きを読む

天保10年の干ばつ

天保10年(1839)6月~7月、干ばつ。7月20日、如法寺河原で千人踊り、雨乞いをする(大洲領)。 続きを読む

元文2年の干ばつ

元文2年(1737)4月、干ばつ、田方虫付。(大洲領の災害) 続きを読む

宝暦5年の干ばつ

宝暦5年(1755)夏、大干ばつ、松山領森松村と大洲領麻生村との水論。(大洲領の災害) 続きを読む

昭和18年の洪水

昭和18年(1943)7月、旧大洲町肱北地区で肱川の堤防が決壊し、新町・若宮地区に多大な被害を与えるとともに、大洲盆地全域を泥海と化した。現在の大洲市域の被害は死者28人、住家の流失7戸、全壊74戸、半潰103戸、床上浸水3,872子、床下浸水477戸等に及ん... 続きを読む

宝暦11年の干ばつ

宝暦11年(1761)夏、干ばつのため、宮下・上野・八倉・徳丸・出作の各村と麻生村との間に水論。(大洲領の災害) 続きを読む

昭和18年の洪水

昭和18年(1943)7月21日~24日、低気圧と不連続線が肱川流域付近に停滞したため、流域の総雨量は本川上流の宇和町で755ミリ、支川小田川の小田町で406ミリに達した。このため、山地の崩壊、地すべり等が各所で起こり、肱川は増水し、大洲枡形地点で水位は8.6... 続きを読む

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