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令和元年(2019)8月、台風10号により、13日~16日の総降水量は馬路村魚梁瀬で869.5ミリを観測し、15日8時3分に室戸岬で南東の風41.9mの最大瞬間風速を観測した。大豊町で住家の一部破損1棟、梼原町で住家の床上浸水1棟、越知町で非住家1棟の被害が出... 続きを読む
昭和29年(1954)9月25日~26日、洞爺丸台風により、三島291.0ミリ、新立165.4ミリ、中津125.0ミリ。被害は県下全域で死者行方不明16人、傷者7人、家屋の全半壊1,917戸、流失86戸、浸水26,047戸。(「愛媛県地域防災計画 資料編」、「... 続きを読む
平成30年(2018)7月5日~9日、梅雨前線により、今治442.0ミリ、松山361.5ミリ、宇和539.5ミリ、宇和島374.0ミリ。被害は県下全域で死者・行方不明者31人、負傷者29人、全壊632棟、半壊3,212棟、床上浸水360棟、床下浸水2,692棟... 続きを読む
明治38年(1905)6月2日、安芸灘を震源とする地震により、愛媛県内負傷者17人、建物被害235棟。被害が大きかったのは現松山市の高浜・三津浜と現伊予市、現松前町域であった。 続きを読む
明治32年(1899)8月28日の水害では、愛媛県全体で828人、現在の新居浜市で512人が亡くなるという大きな被害が出た。特に旧別子の被害が大きく、この大水害によって旧別子から東平、端出場(現在のマイントピア別子のあたり)に銅山施設の中心が移っていくという一... 続きを読む
慶応2年(1866)8月7日の水害により、小仁宇村内では村高176石中70石程が損毛となり、那賀川の堤の一部が破損し、山崩れ3箇所、船2艘流失などの被害があった。(小仁宇村秋本家文書による) 続きを読む
平成7年(1995)7月3日~6日、梅雨前線により、玉川347ミリ、宇和337ミリ、中山329ミリ。被害は県下全域で床上浸水298棟、床下浸水350棟、田畑流没44.5ha、田畑冠水759ha。(「愛媛県地域防災計画 資料編」、「愛媛県史 社会編」による) 続きを読む