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文政5年の干ばつ・風水害

文政5年(1822)6月11日頃より極上天気、7月19日まで降り申さず。(「元木文書」による)/秋干損、虫害、風水害、御地高24,745石余御損亡、11月19日お届。(「徳島県史料年表」による) 続きを読む

昭和9年の干ばつ

昭和9年(1934)6月25日から雨なく、特に7月に入り好天が11日まで続いた。時期がちょうど田植期であったため、間の北東部で植え付け不能となり、北西部では煙草などの農作物に干害を生じた。8月に入っても散発的な雨しかなく、特に県北西部の雨量は30日までに30ミ... 続きを読む

慶応元年の洪水

慶応元年(1865)6月、洪水。(「徳島県史料年表」による) 続きを読む

享保10年の干ばつ

享保10年(1725)夏7月~9月、大干傷禾。(「蜂須賀家記」による)/二州大干且つ蝗、傷禾116,130石。(「阿波志」による)/干蝗害、飢人多。(「神領村誌」による) 続きを読む

昭和25年8月6日の熱帯低気圧

昭和25年(1950)8月6日、熱帯低気圧が室戸岬の西から四国に上陸し、日本海に抜けた。7日10時に計った日雨量は最多雨地の川井で434ミリ、川上307ミリ、鬼籠野296ミリ、市場273ミリであった。阿波・麻植の被害が大きく、那賀川も増水したが、吉野川本流は大... 続きを読む

慶応2年の寅の水

慶応2年(1866)8月6日、寅の水という。(「徳島県史料年表」による)/7日夕には古来稀な大水となった。西貞方では助次墾の堤防が崩壊して一丈有余の水嵩となり倒家多く圧死するもの10人、東貞方では圧溺死7人、中原では別宮八幡前の堤防の上を越すこと5、6尺の水量... 続きを読む

平成7年5月の風雨

平成7年(1995)5月11日昼前、寒冷前線が四国の東部を通過し、11日3時に足摺岬沖で発生した低気圧は15時頃室戸岬付近に進み、各地で短時間に強い雨が降った。総降水量の最大値は阿南市太竜寺山で241ミリ、日降水量の最大値は太竜寺山で11日に222ミリを観測し... 続きを読む

昭和61年11月の山火事

昭和61年(1986)11月4日15時30分頃、鳴門市瀬戸町の山林から出火した山火事は、北西の風に煽られて燃え広がり瞬く間に山頂まで達した。火の勢いは夜になってさらに強まり、火は尾根伝いに燃え広がり近くの住宅地に迫ったが、延焼は食い止められ、5日20時7分に鎮... 続きを読む

昭和27年の豪雨

昭和27年(1952)3月22日、発達した低気圧のより、那賀郡福井で記録的な強雨があった。被害は死者6人、負傷者2人、家の全壊3戸、半壊18戸、床上浸水305戸、床下浸水130戸、橋流失16箇所、堤防320m、道路16箇所、田畑流失75町、農作物被害200町、... 続きを読む

昭和45年3月の竜巻

昭和45年(1970)3月30日正午頃、鴨島町上下水と広畑地区一帯で局地的な竜巻が起こり、ビニールハウス10棟が倒壊または半壊した。地元の人の話ではゴォーという音とともに幅50cmの竜巻が西から東へ約800mにわたって吹き抜けたとのことであった。(徳島新聞) 続きを読む

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