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明治3年の洪水

明治3年(1870)9月、吉野川で洪水。 続きを読む

安政4年の八朔水

安政4年(1857)7月29日から降り始めた雨は、8月1日になって豪雨となり、旧吉野川の堤防が破堤し、板東、津慈、川崎、三俣周辺一帯が浸水した。また、別宮川が増水したため、鈴江堤防が切れ、川内町で350戸が倒壊した。 続きを読む

安政元年の南海地震

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安政元年(1854)、南海地震が起こった。松茂町中喜来の春日神社境内にある敬諭碑には、家屋の倒壊と火災、津波による田畑の冠水などのほか、大地から水が吹き出したこと(液状化現象)が記されている。 続きを読む

嘉永2年の酉の水

嘉永2年(1849)7月8日から11日まで大風雨が続き、「蜂須賀家記」によると「水は勝瑞村一円に溢れ、人家が漂流した」とある。旧吉野川筋の板東村(鳴門市大麻町)で100間が破堤、水位は7尺にもなった。徳島市川内町では堤防33箇所が決壊、河口域の鶴島、宮島、富久... 続きを読む

天保14年の七夕水

天保14年(1843)7月5日、6日に洪水が襲い、「七夕水」と呼ばれた。50年来の大水と言われ、「川内村史」によれば、7日朝から翌朝までに、鮭の6尺桶に二杯もたまったという。 続きを読む

享和元年の洪水

享和元年(1801)8月19日から20日かけて、吉野川で風雨、洪水により、川成(田畑に土砂が流入し河原のような荒廃地になった状態)、砂成(砂が入った程度で復旧可能な状態)となった。(「山田家史料」による) 続きを読む

享保7年の洪水

享保7年(1722)6月、7月、8月と毎月、吉野川で大洪水が襲った。「蜂須賀家記」には「御国風雨洪水」あるいは「人家流失、死者多数」という表現で記されている。 続きを読む

承徳2年の洪水

承徳2年(1098)、吉野川で大洪水。(「徳島県災異誌」による) 続きを読む

仁和2年の洪水

仁和2年(886)、吉野川で洪水。(「徳島県災異誌」による) 続きを読む

慶応2年の寅の水

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慶応2年(1866)7月末から降り始めた霖雨は、次第に大雨となり、8月7日夕方には古来稀な大水となった。吉野川は増水し、土地の高いところでも床上2、3尺、低いところでは天井に達するほどの浸水であった。この時の洪水の痕跡が徳島市国府町の蔵珠院に残されている。茶室... 続きを読む

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