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弘化4年の風雨

弘化4年(1847)7月、8月、大風雨により、勝浦川、吉野川は大洪水となる。(「蜂須賀家記」による) 続きを読む

天保14年の洪水

天保14年(1843)7月5日~6日、昼夜の大降雨により、7日吉野川は大洪水となり(「七夕水」と呼んだ)、特に板野郡では50年来の大水となり流家多し。(「板野郡史」による)勝浦川でも1丈5尺に大増水し、丈六寺の一の門の下手で破堤、4人が溺死、田浦でも破堤して1... 続きを読む

天保8年の長雨

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天保8年(1837)、長雨が打ち続き、農作の被害甚大で、県南地方では50年来の洪水となった。県下一般に餓死する者多く、木葉を摘み木の実を拾い、曼珠沙華の根を掘り食い命を繋いだ。藩は米倉を開いて窮民を賑救したが、名東郡では8月から10月に至る50日間、新居村不動... 続きを読む

天保7年の洪水

天保7年(1836)夏秋、連日の雨により収穫皆無、穀価騰踴、種物すら絶つ。(「蜂須賀家記」による)那賀川では洪水となり、820m破堤、10月より翌年4月まで修築、1万両を要したという。(「那賀川の治水史」による) 続きを読む

文政12年の洪水

文政12年(1829)、丑年の大流れ。 続きを読む

文政11年の台風

文政11年(1828)8月、暴風雨、禾を傷む。(「蜂須賀家記」による) 続きを読む

文政4年の風水害

文政4年(1821)8月8日、御国風水害、御地高68,664石余御損亡。(「阿淡年表秘録」による) 続きを読む

文政3年の風雨

文政3年(1820)夏秋、御国風雨、御地高87,030石余御損亡。(「阿淡年表秘録」による) 続きを読む

文政元年の風雨

文政元年(1818)7月14日~15日、風雨、出水、御地高11,216石御損亡。(「阿淡年表秘録」による) 続きを読む

文化14年の風雨

文化14年(1817)夜、御国風雨、出水にて、御地高27,330石余御損亡。(「阿淡年表秘録」による) 続きを読む

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