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文久3年の洪水

文久3年(1863)8月12日夜、板野地方の谷川が非常に増水し、堤防決壊30余箇所(延長600余間)で田畑砂入荒れ地となった。夜間であったために被害が大きかったという。 続きを読む

安政7年8月の豪雨

安政7年(1860)8月5日より3日間の豪雨で、吉野川の堤防が切れ、下流川口の川内村では濁水が天井に達した家も多く、35人水死。(「川内村史」による) 続きを読む

安政7年7月の風雨・高潮

安政7年(1860)7月11日及び28日に大水、大風、突浪、高潮によって青毛立、徳島より撫養に至る海辺の被害25,000石、撫養塩浜大荒れ、岡崎十人衆家潮に引かれる。(「板野郡誌」による)徳島より南方海部に至る被害5万石余、年貢御免となる。 続きを読む

安政7年5月の大雨

安政7年(1860)5月11日より16日まで7日間大雨が降り続き、洪水により国中大半浸水となった。別宮川筋名西地方、大洪水。 続きを読む

安政4年の台風

安政4年(1857)7月1日、大暴風雨。名東郡では早渕、府中、和田、矢野、延命の5か村で700石余御損亡、潰家94戸、半壊28戸、潰納屋39戸、半壊納屋2戸、氏神1箇所等。(「国府町史資料」による)三好郡では死人250人。(「三好郡史」による)板野郡では建物、... 続きを読む

安政3年の台風

安政3年(1856)8月1日、大暴風雨、阿波洪水。八朔水という。勝浦川沿岸の被害甚大と伝えられる。(「勝浦郡誌」による) 続きを読む

嘉永5年の風雨

嘉永5年(1852)7月21日、風雨、出水。子の大水という。 続きを読む

嘉永4年の洪水

嘉永4年(1851)4月、大水、水嵩深く被害甚大。(「板野郡誌」による) 続きを読む

嘉永3年の風雨

嘉永3年(1850)9月2日、大風雨、洪水。(「蜂須賀家記」、「日本気象資料」による) 続きを読む

嘉永2年の風雨

嘉永2年(1849)7月8日より10日にかけて大風雨となり、阿波全土で被害甚大。鮎喰川の堤防が13箇所にわたって決壊し、濁水は徳島城下に溢れ、多くの人家が流れ、前代未聞と伝えられる。藩士の録10分の3を免じ、吉凶の礼を甘藷にして経費の節約に努めた。(「蜂須賀家... 続きを読む

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