明和8年の水論

災害年月日
1771年06月09日
市町村
愛媛県砥部町、松山市
災害種類
渇水  
概要
明和8年(1771)、伊予郡両麻生村と下5ヶ村の水論起こり、死傷者あり。麻生の組頭窪田兵右衛門等、備中笠岡の獄に投ぜられる。(「愛媛県農業史」、「伊豫市誌」等による)(伊予の水論〔水争い〕年表)
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備考
兵右衛門は砥部町八倉雲雀山中腹の衣更着神社に祀られ、八倉公民館裏には兵右衛門の墓がある。
参考画像

参考文献
門田恭一郎「伊予における水論について(上)」(高須賀康生編「伊豫史談 第317号」伊豫史談会、2000年、所収)、33頁
情報源の種類
市町村史、郷土史
キーワード
水論 麻生村 死者 窪田兵右衛門 愛媛県農業史
NO.
愛媛1501