安政2年の干ばつ

災害年月日
1855年00月00日
市町村
愛媛県宇摩地方
災害種類
渇水  
概要
安政2年(1855)、宇摩地方は大干ばつに見舞われた。井戸は涸れ、池も底をついた。農民たちは雨乞いをしたが効果はなく、峰一つ越した銅山川に流れている水を引き入れることができればと考えた。そこで、三島・中曽根・松柏・妻鳥の庄屋たちが立ち上がり、連名で三島代官所に「大川河水利用もくろみ書」を差し出した。これはノミと鍬で法皇山脈をくり抜こうとするもので、代官から一蹴されたが、銅山川疏水の着想はこの時が始まりとなった。銅山川からの通水が開始されたのは昭和25年(1950年)であった。
地理院地図
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備考
銅山川疏水の完成を記念して、疏水記念公園(戸川公園)に頌徳碑が建立されている。また、三島公園には銅山川疎水功労者頌徳碑と紀伊為一郎翁頌徳碑が建立されている。
参考画像

参考文献
森実善四郎「銅山疏水小史」(秋田忠俊編「伊豫史談 第189~191合併号」伊豫史談会、1968年)、115-121頁
情報源の種類
市町村史、郷土史
キーワード
干ばつ 宇摩地方 銅山川疏水 庄屋 大川河水利用もくろみ書
NO.
愛媛1480