明治21年の洪水

災害年月日
1888年07月31日
市町村
徳島県石井町
災害種類
風水害  
概要
明治21年(1888)7月31日、吉野川は大洪水となり、名西郡西覚円村では引堤工事が完成していない箇所から濁流が浸入して堤防が決壊し、ついに300間ほどの大破堤となった。このため、堤外人家2戸と堤内の民家13戸ほどを押し流し、その激流は高畠村の民家約30戸ほども押し流した。この時、徳島県の土木出張所の職員ら17、8人がモチの大樹によじ登ったが、上流から流れてきた民家によってモチの木は転覆して多数の人が犠牲になった。この災害を契機に、吉野川改修工事が中止となった。覚円騒動という。
地理院地図
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参考文献
石田園坡著「阿波近古史談」(徳島県出版文化協会、1973年)、200-203頁
情報源の種類
その他文献等
キーワード
洪水 吉野川 破堤 死者 覚円騒動
NO.
徳島6378