大正元年の洪水

災害年月日
1912年09月23日
市町村
徳島県吉野川流域
災害種類
風水害  
概要
大正元年(1912)9月23日、吉野川は洪水で、板野郡誌によると、撫養署の調査では「水かさは田地面の上1丈で潮水の浸入は5尺」というから、下板地方が洪水と同時に高潮の害を受けたとも想像できる。23日正午の水は慶応2年(1866)よりも2~3尺高かったという。撫養署の大寺分署管内だけでも溺圧死9人、家屋の流失73戸、全半壊83戸を数えた。名東・名西両郡は吉野川と飯尾川の氾濫が合わさってもっとひどかった。名東郡国府町北井上あたりでは全村水底で3日3晩屋根の上で水の引くのを待ったという。
地理院地図
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参考文献
毎日新聞社編「吉野川」(毎日新聞社、1960年)、108頁及び122頁
情報源の種類
その他文献等
キーワード
洪水 吉野川 板野郡誌 死者 飯尾川
NO.
徳島6356