明治21年の洪水

災害年月日
1888年07月00日
市町村
徳島県石井町
災害種類
風水害  
概要
明治21年(1888)7月、洪水により、石井町西覚円の堤防が決壊し、多くの民家が流され人命が奪われた。その時、モチの木によじ登り助けを求めた人々がいたが、上流から流れてきた民家が引っ掛かり、モチの木が根元から倒壊し、木も人も濁流に流された。洪水の後、住民は被害の原因が県による堤防工事が遅れたことと内務省の低水工事にあるとして、内務省の改修廃止を県に働きかけ、低水工事は中止された。これは「覚円騒動」として伝えられている。
地理院地図
Googleマップ
備考
西覚円の破堤場所付近には愛宕地蔵が建てられている。
参考画像
参考文献
国土交通省四国地方整備局徳島河川国道事務所編「吉野川探訪ガイドブック」(国土交通省四国地方整備局徳島河川国道事務所、2006年)、8頁
情報源の種類
その他文献等
キーワード
洪水 吉野川 西覚円 堤防決壊 死者
NO.
徳島6245