安政元年の地震

災害年月日
1854年12月23日
市町村
徳島県徳島市
災害種類
地震・津波  火災  
概要
嘉永7年(1854)11月4日午前9時頃、遠州灘を震源とするM8.4の大地震が起こった。さらに32時間後の5日午後4時頃、同規模の地震が紀州沖で発生した。阿波でも、地震とそれに伴う津波によって甚大な被害が起こった。海部郡由岐浦では205戸のうち199戸流失、死者19人、浅川浦では206戸全戸流失、東牟岐浦354戸流失などの記録がある。徳島では内町の大火があり、焼失1,000戸、死者200人と言われている。この地震の恐ろしさが、蛭子神社境内の百度石に刻まれている。
地理院地図
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備考
沖洲の蛭子神社境内の百度石には、安政地震の教訓が刻まれている。
参考画像

参考文献
沖洲地区文化おこし委員会編「わが町沖洲」(沖洲地区文化おこし委員会、1990年)、64-65頁
情報源の種類
市町村史、郷土史
キーワード
安政地震 津波 死者 内町の大火 蛭子神社の百度石
NO.
徳島60