安政元年の南海地震

災害年月日
1854年12月24日
市町村
高知県宿毛市
災害種類
地震・津波  
概要
嘉永7年(1854)11月5日、大地震が起こった。「甲寅大地震御手許日記」によると、津波が総曲輪の八反の大堤を押通って1丈の高さで水田内に入り、兜ばなより錦口までの間で10箇所ほどが切れ、与作池の西の石堤も潰れ、河戸堰の二番井流も被害を受けた。松田川を遡った津波は現在の宿毛小学校正門付近まで達した。また、大島浦では、洞泉寺の障子端まで津波が上がり、潰家は数知れず、流家は13、4軒に及んだ。津波は鷣(はいたか)神社の石段の下から7段目まで達した。
地理院地図
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備考
大島の鷣(はいたか)神社の石段には、宝永地震と安政地震の時の津波高を示す碑が建っている。
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原資料
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参考文献
宿毛市教育委員会編「河戸堰」(宿毛市教育委員会、1996年)、164頁及び167-168頁
情報源の種類
市町村史、郷土史
キーワード
安政地震 甲寅大地震御手許日記 津波 総曲輪 河戸堰
NO.
高知246