明和8年の干ばつ

災害年月日
1771年00月00日
市町村
愛媛県砥部町
災害種類
渇水  
概要
明和8年(1771)は大干ばつで、6月8日に市之井手掛5ヶ村の農民700~800人の集団が古樋井手の掛樋を切り落とすという実力行使をしたため、上下麻生方と矢取川の河原で大乱闘となり、天領の南神崎(宮ノ下)の百姓2人が死亡した。天領の南神崎79人・上野4人、松山藩領の徳丸59人・出作51人、大洲藩領の上麻生59人・八倉40人、新谷藩領の下麻生84人、その他含めて総計381人が天領の倉敷・笠岡に抱引され、安永3年(1774)2月23日に下麻生村組頭の窪田兵衛門が事件の責を請けることで決着した。
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備考
兵右衛門は砥部町八倉雲雀山中腹の衣更着神社に祀られ、八倉公民館裏には兵右衛門の墓がある。
参考画像

参考文献
窪田重治「重信川流域の水利と新田開発について(2)」(重信史談編集委員会編「重信史談 第19号」重信史談会、2000年)、35-36頁
情報源の種類
学術論文、雑誌論文
キーワード
干ばつ 水論 矢取川 窪田兵衛門
NO.
愛媛7927