天武13年(684)10月14日、大地震と津波が起こった。日本書紀によると「国挙りて男女叫び唱ひて不知東西ひぬ。則ち山崩れ河涌く、諸国の郡の官舎、及び百姓の倉屋、寺塔神社、破壊れし類、勝て数ふべからず、之に由ちて、人民及び六畜、多に死傷はる。時に伊予温泉、... 続きを読む
大正6年(1917)11月、干ばつにより、物部川の水が著しく減少し、その後も翌年1月にかけて少雨が続いたため、三島村では井戸水が涸渇し、全戸が飲み水にも困る状態になった。このため、山田堰土工組合では、山田堰の砂吐きを切り落とし分水して、村民の困窮を救った。 続きを読む