新着情報

ピックアップ アーカイブ

寛文6年の洪水

寛文6年(1666)7月4日、大洲で甚だしい雨、疾風により大水が出て、城廻の石垣100間ほど突き崩し、そのほか家中の家々並びに民屋大半破損した。/(「日本気象史料(玉露叢)」による)前代未聞の大風雨、洪水により大損害。(「伊予風水害小史(郡鑑、宇和島吉田両藩誌... 続きを読む

明治41年の豪雨

明治41年(1908)8月10日、前線の南下に伴い、松山では15時より雷雨となった。中予から南予にかけて比較的短時間に100ミリ前後の強雨となり、水害を受けた。(「愛媛県史概説」による) 続きを読む

享保7年の洪水

享保7年(1722)6月23日、昨年に倍する大洪水となった。後年、享保6年と7年の洪水を丑寅の洪水と呼ぶのは、享保6年が丑年であり、享保7年が寅年であったからである。「丑寅の洪水もサダチより起こり、源平の戦いも狂いより起こる」との俗諺がある。 続きを読む