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天明3年の洪水

天明3年(1783)8月11日、松山で洪水により、伊予郡下高柳村の土手が100間余潰れた。(「松山叢談」による)/8月12日、洪水、水層28尺。(「伊予風水害小史(大洲藩譜)」による)肱川で出水、大洲で水位38尺4寸。(「大洲警察署記録」による) (註)肱川の... 続きを読む

明治32年の鈴川山の崩壊

明治32年(1899)9月8日、鈴川山の一部が大崩壊し、下手の樫原部落に土砂が流れ落ち、家8棟が埋没し、死者7人、馬1頭を失い、下流の耕地は土砂で壊滅した。 なお、昭和26年に樫原奥地の山地に一大亀裂が発見され、過去の経験から考えて崩壊すれば大惨事を引き起こす... 続きを読む

明和9年の洪水

明和9年(1772)8月20日、洪水により、財田中之村の長野で死者4人の被害が出た。また、大野地では子ども5人が洪水に流されたが、このうち一人は幸いにも財田西の円光寺の椋の木に引っ掛かり一命を助かった。残り4人の子どもは亡くなった。さらに、上の村では久保ノ下一... 続きを読む