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条件:香川県
大正元年(1912)9月3日、台風に伴う大洪水により、飯田の東川原、本津の川口等の堤防が決壊した。弦打青年会は徹夜で水防にあたり、4日間土俵で海水の浸水を防いだ。(「高松市史年表」による) 続きを読む
大正元年(1912)9月3日、洪水により、香東川では南部柦紙村中森の堤防と相作の堤防が切れ、本津川では三軒屋から南方が切れて、両者の水が合流して鶴市や郷東は海のようになったと言われている。この時、弦打青年会が徹夜で土俵を積み、4日間も水防に努めた。(唐渡福太郎... 続きを読む
大正元年(1912)9月20日から22日にかけて300ミリ以上の豪雨があった。津田川の堤防は各所で破壊され、濁流は両岸より町中へ流れ込んだ。人畜の被害はなかったが、津田町の被害報告書によると、家屋の全壊7戸、半壊7戸、破損503戸、流失3戸、床上浸水198戸、... 続きを読む
大正元年(1912)9月20日から22日にかけて、連続40余時間の豪雨により、雨量は平地で300ミリ以上に達し、川・池の堤防は決壊し、濁流水が田畑、家屋に浸水した。長尾では石神池の「ゆてめ」が壊れて下の民家が流され、鴨部川が氾濫して、前山牛石で5戸、辛立・塚原... 続きを読む
大正元年(1912)9月21日朝から大雨が降りしきり、強風も加わり、夜になって雨はますます激しくなった。阿讃山脈から流れ出した水の流れは河川にあふれ、水勢は急激となり堤防を決壊した。土器川の堤防を破壊した水は、土居町、風袋町、瓦町一帯の民家の床上にまで浸水した... 続きを読む
大正元年(1912)9月21日~22日、台風が四国東部を北上したため、相生村では海水の浸水破損23箇所、田畑冠水15町、堤防決壊664間、流出家屋1軒の被害が出た。引田町の雨量340.4ミリ。(香川県、高松気象台、引田町等の資料による) 続きを読む
大正元年(1912)9月21日午後4時頃から23日午前5時頃までの豪雨により、雨量は300ミリに及び、県下至る所で出水、河川の増水、堤防決壊、橋や人家の流失が起こり、死者は100余人を数え、稲作の被害も甚だしかった。前田地区では、新川の堤防が下所で幅50m、穂... 続きを読む
大正元年(1912)9月21日、暴風雨のため、栗林公園も全域水浸しになった。栗林村や室の住民は、紫雲山、室山、観興寺の裏山などに避難して暴風雨が収まるのを待っていた。そのさなかに、観興寺の山が大音響ととともに崩壊し、別堂に避難していた人々はお堂もろとも土砂に押... 続きを読む