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9341件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県

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安政4年の洪水

安政4年(1857)、加茂川洪水。上砂、蓼原3箇所の合計122間決壊。死者16人。 続きを読む

安政4年の地震

安政4年(1857)、M6.4の地震。(「災害の歴史」、「愛媛社会経済年表」、その他郷土資料による) 続きを読む

安政3年の洪水

安政3年(1856)7月29日、洪水、加茂川水溢れ、死者16人、家屋の流失、稲禾の被害甚だし。(「新居郡誌」による) 続きを読む

安政3年の干ばつ

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安政3年(1856)7月、加茂社で雨乞い、松山領11郡より。(「加茂社記」による) 続きを読む

安政3年の干ばつ

安政3年(1856)、大干ばつのため、上井手の掘り浚えをめぐって徳丸村と森松村の間で紛争が起こったが、代官の取り計らいで和解をみた。 続きを読む

安政3年の干ばつ

安政3年(1856)、郡中地方だけが雨に恵まれなかった。村々では7月8日から8月9日にかけて、伊予岡八幡神社や谷上山宝珠寺などに祈祷を依頼したが、効験はなかった。このため、8月15日には浜で千人踊りを行った。(「和田家文書」による) 続きを読む

安政3年の地震

安政3年(1858)、地震。古記によると、双海町沖の海面に潮や泥水が各所に噴き出たとある。その頃から、海岸一帯が地盤沈下し、各井戸に塩水が含有するようになったと伝えられている。 続きを読む

安政3年の水論

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安政3年(1856)、森松の夫婦泉養水について、森松村と徳丸村で水論。(「松前町誌」等による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

安政3年の干ばつ

安政3年(1856)、郡中地方だけが雨に恵まれなかった。村々では7月8日から8月9日にかけて、伊予岡八幡神社や谷上山宝珠寺などに祈祷を依頼したが、効験はなかった。このため、8月15日には浜で千人踊りを行った。(「和田家文書」による) 続きを読む

安政3年の地震

安政3年(1856)、御荘一帯に大地震と津波が起こった。古老の話にいよると、何日も大地が揺れ、人々は山や竹やぶに避難したが、揺れがひどいときは足をすくわれて歩けなかったという。地震の後の津波が大変で、中浦湾では海の底が干し上がるくらいに潮が引いたかと思うと、見... 続きを読む

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