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条件:愛媛県

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明和8年の干ばつ

明和8年(1771)、干ばつ。(愛媛県災害年表) 続きを読む

明和8年の干ばつ

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明和8年(1771)の大干ばつにより、下麻生村組頭の窪田兵衛門が死罪を受けるという大水論が起こったことを契機として、伊予市八倉・宮下及び松前町徳丸・出作の共有泉である赤坂泉がつくられた。赤坂泉は、市ノ井手の取水量確保のため、釣吉村庄屋の阿部万左衛門が安永3年(... 続きを読む

明和8年の干ばつ

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明和8年(1771)、干ばつのため、一之井手がかりの南神崎・上野・徳丸・出作・八倉5村700人ほどが古樋井手を切り落とし、上麻生・下麻生200人と矢取川の河原で大乱闘を繰り広げ、南神崎と八倉各1人の死者を出した。この事件は幕府に届けられ、各村庄屋・組頭・百姓ら... 続きを読む

明和8年の干ばつ

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明和8年(1771)は大干ばつで、6月8日に市之井手掛5ヶ村の農民700~800人の集団が古樋井手の掛樋を切り落とすという実力行使をしたため、上下麻生方と矢取川の河原で大乱闘となり、天領の南神崎(宮ノ下)の百姓2人が死亡した。天領の南神崎79人・上野4人、松山... 続きを読む

明和8年の干ばつ

明和8年(1771)、干ばつにより、吉田藩の損毛は田3,213石、畑1,443石、合計4,656石に及んだ。(「藤蔓延年譜」による) 続きを読む

明和7年の火災

明和7年(1770)12月26日、山手代町から出火、新立まで焼失する。また、同夜、北清水町からも出火し、鉄砲屋町東詰で止まる。侍屋敷11、徒士以下の家290、町家650、寺2軒焼失する。「増田家記」「予松御代鑑」「三田村秘事録」による) 続きを読む

明和7年の火災

明和7年(1770)12月26日、山手代町より出火、新立まで、清水町より出火、類焼650軒。(「松山叢談」による) 続きを読む

明和8年の水論

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明和8年(1771)、伊予郡両麻生村と下5ヶ村の水論起こり、死傷者あり。麻生の組頭窪田兵右衛門等、備中笠岡の獄に投ぜられる。(「愛媛県農業史」、「伊豫市誌」等による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

明和8年の干ばつ

明和8年(1771)6月、大いに旱。(「大洲旧記」による) 続きを読む

明和8年6月の洪水

明和8年(1771)6月、洪水。(「川之江村大庄屋役用記」による) 続きを読む

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