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条件:愛媛県

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宝暦10年の水論

宝暦10年(1760)、高井村南分が五反地に新泉(五反地泉)の開鑿に着手したのに対し、北分の農民が野都合泉の湧出量に影響するという理由で反対し、水論が起こった。両者折衝の末、五反地東端部の泉敷を埋め立てることで和解した。 続きを読む

宝暦10年の水論

宝暦10年(1760)、南高井・北高井の間で水論が激烈。(「久米村誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

宝暦11年の干ばつ

宝暦11年(1761)夏、干ばつのため、宮下・上野・八倉・徳丸・出作の各村と麻生村との間に水論。(大洲領の災害) 続きを読む

宝暦11年の水論

宝暦11年(1761)夏、干ばつのため、宮下、上野、八倉、徳丸、出作と麻生が水論。 続きを読む

宝暦11年の干ばつ

宝暦11年(1761)、干ばつのため、温泉郡南吉田村と伊予郡余戸村・垣生(はぶ)村の間で水争いが起きた。 続きを読む

宝暦11年の火災

宝暦11年(1761)、北条で火事、13軒被害。(「一番日記呼出」による) 続きを読む

宝暦11年の水争い

宝暦11年(1761)、重信川左岸で上麻生村(大洲領)・下麻生村(新谷領)の両村と下流に位置する徳丸村・出作村(松山領)・南神崎村・上野村(幕府直轄地)及び八倉村(大洲領)の五ヶ村の間に水争いが起きた。この年、南神崎村・上野村の両村が松山領から幕府直下地になっ... 続きを読む

宝暦11年の水論

宝暦11年(1761)、干ばつのため水論が起こった。この年、南神崎・上野村(のちの宮下村)が幕府領になったため、両村の農民が公領を鼻にかけ、これに徳丸・出作・八倉村を加えた下5ヶ村が享保9年の定法を無視して、古樋の筧を切り落とし、さらに麻生村に乱入して狼藉の限... 続きを読む

宝暦11年の水論

宝暦11年(1761)夏、干ばつのため、宮下、上野、八倉、徳丸、出作と麻生が水論。 続きを読む

宝暦11年の水論

宝暦11年(1761)、宮ノ下村以下5村、麻生村と水論。(「砥部町誌」、「大洲旧記」等による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

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