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条件:愛媛県

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享保17年の火災

享保17年(1732)閏5月12日、城下裏町1丁目から出火、侍屋敷37軒、無足屋敷23軒、町屋334軒、寺2軒を焼失し、死者8人を出した。(大洲領の災害) 続きを読む

享保17年の火災

享保17年(1732)閏5月12日、裏町出火、396焼失。 続きを読む

享保17年の火災

享保17年(1732)閏5月12日、城下裏町一丁目から出火、侍屋敷37家、無足屋敷23家、下屋敷、長屋をはじめ、町家は334軒を焼失した。 続きを読む

享保17年の多雨

享保17年(1732)7月、多雨により稲田は収穫有無となった。12月に至り領内で餓死者が続出した。筒井村の義農作兵衛が餓死した。(「田野村誌」等による) 続きを読む

享保17年の多雨

享保17年(1732)7月、多雨が降り続き、ウンカ大発生し、稲田収穫皆無。 続きを読む

享保17年の長雨

享保17年(1732)7月、多雨、うんかにより、稲田収穫皆無。享保の大飢饉。(「災害の歴史」、「愛媛社会経済年表」、その他郷土資料による) 続きを読む

享保17年7月の長雨

享保17年(1732)7月、長雨により収穫見込みなし、飢饉。松山の死者4,780人。(「加茂社記」による) 続きを読む

享保17年の干ばつ

享保17年(1732)7月13日、干ばつと大虫害により、各所で雨乞い。(「国府叢書」による) 続きを読む

享保19年の強雨

享保19年(1734)、強雨。(愛媛県災害年表) 続きを読む

享保19年の洪水

享保19年(1734)、洪水のため、神田、庄、波田で立岩川の土手が切れた。その後も土手が切れるたびに、付近の住民は普請をしたが、立岩川の治水は年貢負担に並ぶ重荷となった。このため、庄屋らは郡普請の対象として工事費の面倒を見てほしいという請願を行った。(「北条高... 続きを読む

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