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条件:徳島県

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天明7年の洪水

天明7年(1787)4月、御国出水。(「徳島年表」による) 続きを読む

天明7年の長雨

天明7年(1787)3月~5月、長雨。(「徳島県災異誌」等による) 続きを読む

天明7年の長雨・豪雨

天明7年(1787)3月より長雨が降り続き、4月25日には豪雨があり、大洪水となった。数年来打ち続く不作の上に、決定的な打撃を受けて大飢饉を招いた。諸物価は高騰し、飢饉は全国に拡大し、多数の餓死者が出た。「天明の飢饉」という。(「徳島県災異誌」、「徳島県史」、... 続きを読む

天明7年の長雨

天明7年(1787)3月より雨が降り、5月20日まで長雨となった。このため、川内村では麦が極めて減収となった。 続きを読む

天明7年の長雨

天明7年(1787)3月より雨が降り出し、5月22日までの長雨で麦が腐り、川内村では反当たり5斗3升しかとれなかったといわれる。 続きを読む

天明7年の洪水

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天明7年(1787)、洪水。古毛村の組頭庄屋吉田宅兵衛は、古毛、上大野、明見、岩脇、古庄、西原、高田の7ヶ村組合に立江、宮倉、坂野、鳥尻、大葉、葉浦、中庄を加えて14ヶ村の協議をとりまとめ官許を得て、堤を築いた。 続きを読む

天明7年の那賀川の洪水

天明7年(1787)秋、那賀川で大洪水があり、中野島地方は惨禍を被った。特に北岸地方は大被害を受け、古毛・明見・岩脇・古庄・西原・高田の七か村組合で受け持っていた堤防管理が負担に耐えられないことから、新たに立江・坂野・島尻・大場・宮倉・葉浦・中庄の七か村を加え... 続きを読む

天明7年の洪水

天明7年(1787)の洪水は、徳島地方だけでなく、香川県、愛媛県にも災害の記録が残っているほど広域的なものであり、那賀川流域での作物、家屋、人畜の被害は悲惨の極みであった。この災害を契機に、古毛の組頭庄屋吉田宅兵衛が中心となって「万代堤」が築かれることになった... 続きを読む

天明7年の洪水

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天明7年(1787)秋、大洪水。惨害に奮起した羽ノ浦方面の与頭庄屋吉田宅兵衛は、北岸14ヶ村の協力を得て、全長594間、敷幅24間半、高さ4間の堤防を造り、万代堤と名付けた。 続きを読む

天明7年の洪水

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天明7年(1787)秋、洪水により堤防破損が甚大であった。従来は、古毛、上大野、明見、岩脇、古庄、西原、高田の7ヶ村が組合として堤防を修築してきたが、新しく立江、宮倉、坂野、鳥尻、大葉、葉浦、中庄の7ヶ村を加えて14ヶ村の共同で堤防を修築し、翌8年5月に落成し... 続きを読む

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