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慶応2年の洪水

慶応2年(1866)、佐馬地川で大洪水。(「馬路川洪患志」、「佐馬地村史」による) 続きを読む

慶応2年の寅の水

慶応2年(1866)夏、連日の豪雨により園瀬川は大洪水となり、園瀬橋付近北岸の堤防から決壊し始め、4ヶ村用水下井利付近まで約50間破堤した。人家8戸流失し、死者20余名を出し、非常な惨状を呈した。また、付近一帯の大坪・新貝の田んぼは土砂により埋没し、住民は非常... 続きを読む

慶応2年の洪水

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慶応2年(1866)、那賀川の洪水のため、医師の岸玄碩先生ら8人が壊れた家の天井板に乗り、洪水の中を流されたが、普段信仰している城山神社を拝み、一里ほど流されて助かった。(「那賀川の民話・伝説」による)災害に遭っても、最後まで諦めるなということを伝えている。 続きを読む

慶応2年の茶園嶽崩壊

慶応2年(1866)、明治18年(1885)、大正元年(1912)、茶園嶽が崩壊し、約60~80町歩の農地が被害を受けた。(「脇町史」による)(平井松午) 続きを読む

慶応2年の洪水

慶応2年(1866)、大洪水。世に「寅の年の大水」と言われている。 続きを読む

慶応2年の洪水

慶応2年(1866)夏、連日の豪雨により園瀬川は大洪水となった。園瀬橋付近北岸の堤防から決壊し始め、約50間破堤した。多数の死者を出し、大坪・新貝の田んぼは土砂で埋没した。寅年の洪水と言われる。 続きを読む

慶応2年の台風

慶応2年(1866)、馬路川で大洪水。佐野で数戸が流失した。馬路川の井堰は悉く流れて、翌春に若鮎が佐野まで遡上した。(「馬路川洪患志」による) 続きを読む

慶応2年の洪水

慶応2年(1866)、豪雨により徳島平野全域が大洪水に見舞われた。別名「寅の大水」と言われる。 続きを読む

慶応2年の洪水

慶応2年(1866)、豪雨により徳島平野全域が大洪水に見舞われた。別名「寅の大水」と言われる。 続きを読む

慶応2年の寅の水

慶応2年(1866)の寅の水は、台風による激しい風が数日続き、そのため那賀川の堤防が大きく決壊し、大洪水を引き起こしたものであった。 なお、名東郡井戸村の「河野家旧記録」によれば、阿波国の被害は死者2,140人、山崩れ54,066箇所、堤決壊74箇所であった。 続きを読む

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